2015年5月26日火曜日

文学と哲学と ─近代日本思想への「エッセイ」=「試み」─ 5

「全ての人間がワニに喰われる川」


  先日、こんな夢を見た。
 机の上に新聞が置いてある。その一面には大きな写真。川の中に、何頭もの大きなワニがいる。私は全く記事を読まずにその写真だけを見て、よくある動物愛護だの環境保護だのを訴える記事だろうと思った。だがその写真をながめていて奇妙なことに気付く。川の中、たくさんのワニとワニの間、白く光るものがいくつもある。その光るものは、大きさも、発する光の強さも、まちまちだ。なんだろうと思って、新聞を手に取ってよく見てみると……
 人間の顔だ。
 白く光る人間の顔が、頭部が、川の底から浮かび上がってきている。大きさや発する光の強さがまちまちなのは、川面からの距離、つまり、川底からどのくらい浮かび上がって来ているかによる違いらしい。「なんだこりゃ!?」、驚いた私はその写真の解説記事を読んでみた。記事によると、ある国(南米だかアフリカだか東南アジアだかオセアニアだか、その辺はわからない。とにかく、野生のワニがいそうな国)では、いまだに、人喰いワニを使った残虐な処刑が行われているとのこと。その記事を読んだ瞬間、夢の中の場面は、今まさに処刑が行われている場面へと移る。
私の目の前には、巨大なワニがウヨウヨいる川、そして川岸には、老若男女、未開人風の格好をしたたくさんの人々が、やはり未開人風の格好をした人々に取り押さえられて、川に突き落とされる順番を待っている。突き落された人々は、即座にワニに喰われ、喰われた人々の頭部が、ゆっくりと川面に浮かび上がってくる。延々と続くそんな場面を、非常に嫌な気分で私は眺めている。夢のありがちな展開としては、次はいよいよ自分が突き落される番だ、あるいは突き落されていよいよワニに食われる、というところで目が覚める、といったところであろうが、この夢の場合にはそんなことはなく、私はただ、川で展開される光景を見続けるだけで、嫌な気分がおそらくは頂点に達したところで、目が覚めた。

なんでこんな夢を見たのか、実は自分ではよくわかっている。最近、西田の「場所」だの「絶対無」だのといった概念について、毎日悩んでいるからだ。その悩みが反映されて、この夢では西田の哲学の概念が、実に様々なイメージとなって現われているようだ。
 まず、私はこの夢を、新聞という、おそらくは様々なイメージの充満した場所に於いて知る。そして次に夢の内容。川に突き落とされた人々が次々とワニに喰われてゆく、つまり、「無」になってゆく。西田の用語で言えば、この川は私にとっての「絶対無」のイメージ、ということなのであろう。『精神現象学』においてヘーゲルはシェリングの思想を「全ての牛が黒くなる闇夜」と表現しているが、私にとっての西田哲学とは「全ての人間がワニに喰われる川」ということになろうか。ところで人間が無になってゆくと言えば、私が安吾の作品の中で特に好きな二つの小説の最後で、いずれの主人公も「無」になってゆく。 
 一つは「桜の森の満開の下」。

彼は女の顔の上の花びらをとってやろうとしました。彼の手が女の顔にとどこうとした時に、何か変ったことが起ったように思われました。すると、彼の手の下には降りつもった花びらばかりで、女の姿は掻き消えてただ幾つかの花びらになっていました。そして、その花びらを掻き分けようとした彼の手も彼の身体も延した時にはもはや消えていました。あとに花びらと、冷めたい虚空がはりつめているばかりでした。

 そしてもう一つは、「紫大納言」。

大納言は、てのひらに水をすくい、がつがつと、それを一気に飲もうとして、顔をよせた。と、彼のからだは、わがてのひらの水の中へ、頭を先にするりとばかりすべりこみ、そこに溢れるただ一掬の水となり、せせらぎへ、ばちゃりと落ちて、流れてしまった。

 これらの二つの場面と私の夢との違いは、私の夢の中では川に浮かび上がってくる顔、頭部が、川というこれもまた象徴に満ちた場所からの再生をイメージさせるということ、また、これら二つの場面を読んで読者が抱く感情は「哀しさ」や「切なさ」といったものであろうが、私が夢の中で感じたのは「嫌な感じ」、つまり何とも言えない嫌悪感だったとうこと、この二つだろうか。
 前者については、西田が「場所」について、経験や自覚や意志の働きがそこに於いて生じる、さらに一般的にいえば、一切の作用や存在を自己の内に於いて成立させ包み込んでいる、としているところから生じたイメージであろう。そしてごく簡単に言ってしまえば、そのようなものとしての場所の根底にあるものが「絶対無」である。だから、「絶対の無」といっても、消滅ということよりもむしろ生成の場所として西田は論じている(と、少なくとも私はそう考えている)のだが、「無」しかも「絶対の無」という言葉は、私にとってはたとえば「無に帰する」といったイメージを喚起するものらしい。私の夢の中でも、ご丁寧におそらくは再生のイメージとしてワニに喰われた人たちの顔や頭部が川面に浮かび上がってくるのであり、それは上に引いた安吾の描写のように「哀しさ」や「切なさ」を感じさせるものではないはずだし、ましてや「嫌な感じ」を抱かせるものではないはずである。ではなぜ私は「嫌な感じ」を、何とも言えない嫌悪感を抱いたのであろうか。
 ところで、上に引いた安吾の二つの作品の結末の描写を読んで、読者が「哀しさ」や「切なさ」を感じる理由として、それは読者が良くも悪くもある程度は感情移入をしてきた小説の主人公が、様々な台詞や行為を通じて読者が共感や反発を感じてきた主人公が、最後に「無」となってしまうということも大きいであろう。そして主人公と言えば、我々人間は誰もが、自分の思考や認識や行為の「主体 subject」として、自分の人生の主人公である、少なくとも通常はそう思っている。ところが西田の思想においては、我々は「主体」としてのsubjectではなく、我々自身を超えて我々自身を成立させて包み込んでいるものの「臣下」あるいは支配の「対象」としてのsubjectであるに過ぎないとされてしまう、どうやら私は、自分では意識せずに、そのように感じているようだ。そして私は主体性を失ってしまうことに対して、何とも言えない嫌悪感を抱いているのではないだろうか。それはつまり、私が自分では意識しないままに近代人として、たとえばデカルトのコギトに代表されるような近代的主体として生きている、ということであろう。こんなことを言うと「何を当り前のことを」と思われるかもしれないが、若いころに散々、「コギト批判」だの「ロゴス中心主義批判」だのといった「現代思想」に親しんできた身としては、実は結構なショックである。それに、人間というものは「当たり前のこと」の真相を知ることに対して嫌悪感を抱くものなのかもしれない(思わせぶりな言い方をして申し訳ない。ただ、フロイトがデカルトの見た奇妙な夢の解釈を拒否したというエピソードを、なんとなく思い出しまして……でも、これにかんしては今ちょっと詳しくは論じられないので、いつか別の機会に。また、二つの物語の最後に主人公を「無」とした安吾ですが、安吾自身は、薬物中毒と鬱病が原因で東大医学部附属病院神経科に入院した当初は、持続睡眠療法を受けることを拒否したのでした。睡眠中に自分の主体性が失われることを怖れたのだと言っていいてしょう。これについても詳しくはいつか別の機会に。)。

さて、西田の哲学についての私の誤った夢の話と、その誤った夢をめぐって私が抱いた誤った印象についての話はこのくらいにして(まぁ、誤ってるんでしょうけど、どうぞご勘弁を。何しろ、たかが夢から始まった話なので)、以下、この夢を題材にして「私」というものについて考えてみたい。というのは、西田は「私」を「場所」であると言っている、事物や出来事が「そこに於いてある場所」であると言っているからである。
 私が見たこの夢をめぐって、三つの「私」というものを想定できるのではないだろうか。すなわち、「新聞に載っている写真を見て、それから川に突き落とされた人々が次々とワニに食われてゆくのを見ている私」(「私1」)、「『嫌な気分』に耐えられなくなった私」(「私1↔2」)、「目覚めた私」(私2)。「私1」は完全に夢の中にいる私、「私2」は現実の私、つまり、「夢の世界の反対」という意味での「現実の世界」に生きている私である。ところで、「私1↔2」がよく分らないという人も、おそらくいるであろう(実は私もよく分っていない。「無知の自覚」!)。だが、嫌な気分を感じたのは「私1」なのだろうか「私2」なのだろうかと考えると、これがなかなか難しいようだ。というのは一方で、「嫌な気分」は目の前で展開されている場面を見ることによって引き起こされたのだから、「嫌な気分」を抱いたのは目の前で展開されている場面を見た私、つまり「私1」である、と言える。だが他方で、「嫌な気分」に耐えられなくて目覚めたのは、つまり、夢の世界から現実の世界に「戻ってきた」のは、現実の世界の住人である「私2」なのであるから、「嫌な気分」を抱いたのは「私2」であるとも言える。つまり、「私1↔2」というものは、「私1」と「私2」という二人の私にまたがる「私」なのである。そしてさらに言えば「私1」と「私2」は「私1↔2」に「於いて」ある、つまり西田的に言えば、「私1」と「私2」は「私1↔2」という「場所」の「自己限定」によって現われた「私」なのである……と、そうは言えないだろうか。「一即多・多即一」、「絶対矛盾的自己同一」、あるいは鈴木大拙の言う「般若即非の論理」、つまり、一はどこまでも一でありながら、同時に自己否定的に多である、また、多はどこまでも多でありながら、同時に自己否定的に一である……「私12」は「私12」としてどこまでも「私」として一でありながら、同時に自己否定的に「私1」および「私2」として多である。また、「私1」および「私2」はどこまでも多でありながら、同時に自己否定的に「私12」として一である。そしてさらに言えば、私がある場面を夢だと判断するか現実だと判断するか、そういった判断をする私は、言わば夢も現実も超えているのである……と、そうも言えないだろうか。
 こんなことを言うとただちに、たとえば、夢の中で自分が「夢を見ている」ということを意識することは可能なのだろうかという疑問が生じるかもしれない。でもね、可能でしょ?だって実際に、夢を見ながら、その夢の中で「これは夢だ」ってことが分っているという状況、誰でも経験あるでしょ?つまり、今現在の「私」が「私1」であるのか「私2」であるのか、それを判断することが「私」には出来るのであり、それが「私1↔2」だと、私は言いたいのである(こうやって事実を引き合いに出して説明されても、釈然としないという方も多いかもしれません。お気持ちはよくわかります。いや、実は私もそうなんです。しかしそれはようするに、夢というもの自体が、そもそもよく分らんものなので、とりあえずは仕方がない、ということで……)。だがもちろん、こう言われた途端に新たな疑問が生まれてくるであろう。たとえば、そういった判断が可能だとしても、なぜ人はそもそもそんな判断をしようとするのか、それを説明することは可能なのだろうか、つまりより一般的に言えば、なぜ人はそもそも何かをしようという意志を抱くのかということを説明することが出来るのだろうか、そういう疑問が生まれてくるかもしれない(「たとえば」とかさらっと言っておきながら大問題ですいません)。何やら西田の哲学を超えて、行為と動機だとか行為と意志だとかいった問題に発展しそうだが、この疑問については、永井均氏が、もしかしたらヒントになるかもしれないようなことを書いておられる(『西田幾多郎 <絶対無>とは何か』、2006年、NHK出版)。
 永井氏は「雷鳴が響き渡っている」という事態を例にして論じる。すなわち、「私は雷鳴を聞いている」(主語的統一)と言えるに先立って、まずはまさに「雷鳴が響き渡っている」という事態そのものがなければならないのであり、それを表現するならば「雷鳴が響き渡っている─取り立てて言うなら私に於いて」(述語的統一)ということになるであろうと言うのである。

この「取り立てて言う」ことがすなわち(場所の)「自覚」で、(中略)それが「取り立てて言う」ことであることからもわかるように、もし取り立てて言われなければ、私など存在しない(無である)……。

 また西田の言う、「私」が事物や出来事が「於いてある場所」であるということいついて、次のように言われる。

これは、判断論の見地から言い換えるなら、私とは述語となって主語とはならないものだ、ということであり、さらに言い換えるなら、それに対してはさらに述語を付け加えることができない絶対無の場所であるということである。/述語となって主語とならないということは、言い換えれば、対象化されないということである。

 話をちょっと元に戻す。「私1」も「私2」も、「私1↔2」によって「対象化」されている。そして永井氏によれば、なぜ「私1↔2」がそのような対象化を行うかと言えば、そもそも対象化とは「取り立てて言う」という作業であるにすぎないということになるのであろう。そして「私1↔2」もまた、まさに「ここで論じられている」、つまり対象化されている。だから「私1↔2」を対象化する、さらに深い「私」=「場所」がなければならないということになろう。さて、そのさらに深い「私」=「場所」は、なぜ「私1↔2」を対象化するのであろうか(一応お断りしておく。「私1↔2」がまさに「ここで論じられている」、つまり対象化されているのは、今現にこの文章を書いている「私」が「論じている」、つまり対象化しているのであって、「今そこにいるお前で止まるじゃないか!」と思う方もいらっしゃるかもしれない。でもその発想においては、「今現にこの文章を書いている私」が対象化されているということなのである。つまり、そういう方向で考えると、延々と続いてしまうわけですね。実際に私を知っているそこのあなた、嫌でしょ?私が延々と現れたら……)。そこに何らかの動機や意志といったものを想定することは、おそらく永井氏的な方向ではないのであろう。だが、私はどうしてもそういった方向で考えてしまう。こう言うと何やら宗教じみた話になってくるが、実際に、西田自身が「絶対無の自覚」を「宗教的意識」と呼んでいるので、そういった方向で考えるのもとりあえず間違いではないのであろう。「幾千年来我らの祖先を孚み来った東洋文化の根柢には、形なきものの形を見、声なきものの声を聞くといったようなものが潜んでいるのではなかろうか。我々の心はかくのごときものを求めてやまない……」(『働くものから見るものへ』)。「かくのごときものを求めてやまない」、「我々」とは誰のことなのか、そして、なぜ「求めてやまない」のか。
私の「私」の話に戻る。先にも述べたように、「私1↔2」が自己を限定して、一方では「夢の中の私」つまり「私1」として現われ、他方では「現実の中の私」つまり「私2」として現われる。さて、どちらとして自己を限定し、あるいは現われるのか、「私1↔2」は、それを自由に決めることは出来るのだろうか?永井氏の表現をお借りすれば、「私1↔2」はどこまで自由に自らを対象化できるのだろうか、あるいは「取り立てて言う」ことが出来るのであろうか?ところで、このシリーズのテーマは「文学と哲学」である。だから、夢を小説作品と置き換えてみよう。作家は小説を自由に書けるのだろうか。「またまたそんな当たり前のことを思わせぶりに……」などと思ってしまったそこのあなた、ごめんなさい。だが、もちろん大真面目である。小説を書くということは、実は非常に不自由な営みなのではないかと、私は思っているのです。

さて、「エッセイ」=「試み」の末に今回見出された課題。まず、「場所」や「絶対無」は、動機や意志の問題、つまり、文学にしろ哲学にしろ、考えたり書いたりすることの起源の問題と結びつくのであり、それはやはり、純粋経験や直接経験の問題にも結びつくであろう(起源の問題と言えば、今回最初の方で「哀しさ」や「切なさ」や「何とも言えない嫌悪感」といったことに触れたが、こういった「気分」の問題は、西田が哲学の動機とした「悲哀」の問題とも結びつく。そして文学の起源における「気分」については安吾も論じている。「文学のふるさと」である。「ふるさと」についての安吾の議論は、まさに「起源」の問題についての議論である)。また他方で、「私」の「自己限定」がどのように決まるのかという問いについて考えるためには、『働くものから見るものへ』以降の議論を追わなければならない。そしてさらに、この両側面を総合的に考えることは、初期西田の思想から「西田哲学」への思索の深まりを追う作業となるであろう。近々、本格的に始めますよ、近々、ね。でもその前にもうちょっと、あちらこちら寄り道。あちらこちら命がけで、寄り道。