2015年5月11日月曜日

文学と哲学と ─近代日本思想への「エッセイ」=「試み」─ 2


「なぜ自分は」という問いへの「試み=エッセイ」

 
 さて、前回私は、西田と安吾には日本近代の初期において真剣に思索し表現しようとした人々に共通のエートスが云々と、我ながら分かるような分らないようなことを書いた。まぁ、簡単に言ってしまえば、当時、思索する人々の多くが乗り越えなければならないと思っていたある難問と、二人とも立場は違えど無縁であることは出来なかった、ということである。その難問とは、ひとことで言えば「自意識」の問題である。自意識の問題といえば、たとえば『自覚に於ける直観と反省』における「自己」や「自己の作用」をめぐる議論を読めば明らかなように、また、より端的に「自覚はいはゆる主観の主観、いはゆる意識の意識でなければならぬ」(「左右田博士に答ふ」)にと言われたように、またさらに言えば、後のいわゆる「場所論」にも結び付く、西田哲学の大きなテーマの一つなのであるが、私はここでこのまま西田哲学に飛び込むのではなく、しばらくの間、言わば迂回してみることにする。なぜならば、当時の人々にとって自意識の問題は非常に大きな射程を持つ問題だったのであり、その射程を共有することによって、西田の哲学を従来の研究とは違った相の元で捉えなおすことが出来る……ような気がするからである。いや、そんな風に言うのは大げさかもしれない。だが少なくとも、坂口安吾などといういろいろな意味で西田とは対極にあるような(いや、実は意外とそうでもないのかもしれないが……まぁ、さしあたりはとりあえずそういうことにしておく)人物について研究してきた私だからこそ語れるような仕方で西田の哲学について語ることなら、もしかしたら出来るかもしれない……とは思う。

 さて、自意識の問題について、たとえば小林秀雄は次のように論じている。

扨て、宿命的に感傷主義に貫かれた日本の作家達が、理論を軽蔑して来た事は当然である。作家が理論を持つとは、自分といふ人間(芸術家としてではない、たヾ考へる人としてだ)がこの世に生きて何故、芸術制作などといふものを行なふのか、という事に就いて明瞭な自意識を持つといふ事だ。少なくともこれの糾問に強烈な関心を持つ事だ。言はば己れの作家たる宿命に関する認識理論をもつ事である。
                                         (「アシルと亀の子 I」)

 つまり小林は、自意識の問題を、宿命の問題として展開したのである。さらに小林は言っている、「少なくとも近代文学が発生して以来、社会に於ける己れの作家たる必然性を、冷然たる自己批判をもつて確信しなかった大作家は一人もゐない」(「アシルと亀の子 V」)。なぜ自分は芸術活動をするのか、なぜ自分は文学作品を書くのか、なぜ自分はものを考えるのか、なぜ自分は……。自意識の働きというものをここでは簡単に、文字通り自分の意識を意識する働きだとすれば、小林の場合、「冷然たる自己批判」とも言われるように、後者の働きが言わば厳しい問いかけとしての意味を帯びるのである。この「なぜ自分は」という問いは、考えてみれば、哲学においてもソクラテス以来の大問題である。ソクラテスが哲学という営みを自分に課せられた使命であるととらえるようになったのは、そもそも友人のカイレポンがデルポイの神殿で受けた、「この世には誰も、ソクラテス以上に知恵のある者はいない」という神託を聞いたことがきっかけであった。つまり、なぜソクラテスは哲学を開始したかといえば、それは神の言葉に従ってのこと、ということになるのである。だが、ちょっと考えてみてほしい。たとえば友人と話をしていたとする。その友人が、「あのさ、俺の友だちから聞いた話なんだけどさ」などと言って語り始めた話の信憑性というのは、一体どの程度のものであろうか。さらに「あのさ、俺の友だちがその友だちから聞いたっていう話なんだけどさ」などと言って語り始められた話の場合はどうだろうか。そしてさらに「あのさ、神様から聞いた話なんだけどさ」などと言って語り始められた話の場合は……それはもう、信憑性云々の次元の問題ではないかもしれない。と、このように考えてしまうと何やら身も蓋もない話になってしまうのだが、この「なぜ自分は」という問いに対して、言わば超越的なものを引き合いに出すという仕方は、西洋の哲学・思想の伝統においては一つの有力な、説得力を持つ方法であったことは確かである。それは、弁証法の問題をめぐって西田が対決を繰り広げたヘーゲルの場合にしてもそうだ。全ては絶対精神というある種の超越的なものの現われ、というわけだ(このあたりからすぐにでも西田哲学について論じ始めることも出来るのだが……いやいや、あせってはいけません、先ほども申し上げたように、迂回迂回……)。

 だが、そういった超越的なものや絶対的なものを引き合いに出すことが出来ない、あるいは引き合いに出すことを拒んだ場合、他にこの「なぜ私は」という問いに答える方法はないものだろうか。「ある」と考えた人々もいた。安吾もその一人である。安吾は言う。

私自身が何者であるかは私には分っていない。ただ、私は書くことによって、私を見出す以外に仕方がない。私は原稿紙に向うと、いつも、もどかしいだけで、そして、何がもどかしいのだか、それすらも、分っていない。/そして、それならば、書きすててきたものの中に私が在るかと云えば、そういう確たる自負は、全く、私には、ない。私はただ、いつも探しもとめ、探しあぐって、さまようているだけのジグザグの足跡だけ。私はいったい何者なのだか、みなさんよりも、私自身がそれを何より知りたいのだ。               (『いづこへ』への「あとがき」より)

  つまり、考えたり書いたりすることに先立って、自分が何者であるのかということが把握できているわけでもなければ、「なぜ自分は」という問いに対する答えがあるわけでもない、そうではなく逆に、自分が何者であるのかということが把握出来るとすれば、そして「なぜ自分は」という問いに対する答えを得ることが出来るとすれば、その可能性は考えたり書いたりすることを通じてしか、そして考えられたり書かれたりしたものの中においてしか実現され得ない、しかもそれにしても「確たる自負は、全く」ない、だからこそ、とりあえず考え続け、そして書き続けるしかない、というのである。「これは私の文学なのだから。私が何者であるかは文字自体が審判している筈だ」(同書)。この「とりあえず考え続け、そして書き続けるしかない」という決意あるいは態度が根底にあるからこそ、安吾の作品は、安吾自身が、自分は何者であるのかということを発見するための、そして「なぜ自分は」という問いに対する答えを発見するための、「試み」という性格を帯びている。安吾という人は小説家としてはちょっと可哀想な人で、彼のエッセイは面白いけれども小説(特に長編小説)はつまらない、といったことがよく言われる。だがこのことは、ここで見た安吾の作品の性格と考え合わせると実に象徴的である。というのは、フランス語で「エッセイ」という言葉はそもそも「試み」を意味するのだから。

 さて、西田もまた、『自覚に於ける直観と反省』の序文に「余の思索における悪戦苦闘のドキュメント」と記している。「悪戦苦闘」を「試み」と解釈すれば、西田自身も自分の哲学を、語の本来の意味での「エッセイ」として認めているとも言えよう。小林秀雄は「学者と官僚」において西田の哲学を「日本語では書かれて居らず、勿論外国語でも書かれてはゐないといふ奇怪なシステム」と評しているが、西田が書いた文章が「悪戦苦闘=試み」の足跡であると考えれば、たとえば前回論じたような教祖然たる西田ではなく、苦悩する人間西田といった印象が強く浮かんではこないであろうか(だって、いくらなんでもずいぶんな言われようですものねぇ……)。

ところで、西田哲学のこのようなエッセイ的な性格を積極的に主題化した人物がいる。林達夫である。林は「思想の文学的形態」において、「書きながらあるいは書くにつれて考えるあるいは考えを生み出す思惟活動の形式に従う人々」あるいは「書くということが考えることであるような」思想家を「随筆家」型思想家としたうえで、次のように言っている。

もしわが国においてそのようなタイプに近い思想家を求めるならば、─それは西田幾多郎先生ではなかろうか。そして西田哲学において、多くの解釈家、批評家たちからいちばん見逃されているものも─それはまさしくこの哲学者のフィロソフィーレンにおけるこの「随筆」的性格であるように思われる。

 林はさらにはっきりと、「西田哲学はその発想形態においては決して完結した思想体系を示しているものではなく、むしろエッセイである」と述べ、西田哲学のエッセイ的性格を次のように論じている。

エッセイであるが故に、そこには─比喩的に言ってよいなら─仕事場の雰囲気が常に漂っている。というのは、あらゆる思想的産出の材料や道具や工程的努力そのものがそこにはむき出しにさらけ出されており、整理されてゆく過程そのものが如実にいわば「即物的」にあらわれているからである。いわゆる生の哲学ではないのに、その形而上学が生の匂いを濃厚に発散しているのは、このようないわば「手仕事」のあとが生の波状線をそのままに生々しく伝えているからであろう。西田哲学が体系であろうとしながら、一向にそれになり切らず、素人眼には、いや玄人の眼にさえ「繰り返し」と見えるものがうるさく附き纏っているのも、だが、しかしそれと共に凝結的に固まらず、いつも未完結的な、流動的な発展曲線を示していていささかも動脈硬化症に陥ってないのも、それがためであると言えよう。

 林によるこの西田哲学=エッセイ論は、私には先に引いた安吾の『いづこへ』への「あとがき」の中の、「ただ、いつも探しもとめ、探しあぐって、さまようているだけのジグザグの足跡だけ」といった記述を連想させる。また、林は西田のテクストについて「素人眼には、いや玄人の眼にさえ『繰り返し』と見えるものがうるさく附き纏っている」と言っているが、松岡正剛は安吾を評して「くりかえし同じことを書くというビョーキがある」と言っており、その辺りの一致も面白い。

 さらに林は、西田にとっては古今東西の様々な哲学・思想との「対決」が、つまり、様々な哲学・思想について「考える」ことがそのまま「書くこと」であった、つまり「読むことがそのまま考えること=書くこと」であったと述べる。おおよそこのように西田の哲学について論じたうえで、林は西田哲学を研究する者に要請される「態度」について述べている。

西田哲学の文学的形態がエッセイであり「随筆」であるということは、その哲学の把握においてそれに照応する一定の「文学的」態度を、その研究者の側に要請する。ちょうどプラトンの『対話』から首尾一貫した哲学体系をたぐり出そうとする素朴な鈍重な態度が従来の夥しいプラトン曲解のもとであったように、哲学的随筆ないし随筆的哲学にもありふれた論理主義的作品に立ち向かうような屈伸性のない紋切型の態度を以ってしては、その本質に迫ることは到底できないであろう。

「哲学的随筆ないし随筆的哲学」に立ち向かうためにふさわしい態度とは、やはり哲学的に思索しようという「試み=エッセイ」であり「試み=エッセイ」として哲学しようとする態度であろう。そのようなわけで、西田の「試み=エッセイ」から学ぶべく、このシリーズのタイトルに記したように、私自身の「エッセイ=試み」を、しばらく書き続けてみようと思う……まぁ、不定期に、ですけどね。