2015年3月16日月曜日

太宰治にはだまされるな(中畑邦夫にもだまされるな)。


私は常々、安吾研究の延長線上で、「無頼派とは何か?」とか「新戯作派とは何か?」という問題について考えてみたいと思ってきた。そのためにはもちろん、無頼派あるいは新戯作派に分類される作家の作品をしっかりと読まなければいけない。で、最近始めました。とりあえず太宰の作品を少しずつ読んでいます。いや、ほんとにほんとに、少しずつ少しずつ、なんですけどね、それでも読むたびに、新しい発見や驚きがある。

 

私の中では太宰の代表作といえば「人間失格」である。これを初めて読んだのは、確か高校生の頃だったと思う。当時の感想としては「キモっ!」という一語に尽きる感じであったように思う。「人間失格」は、この作品の中心部である主人公の「自分」が残した「手記」が、その手記を読んだ「私」による「はしがき」と「あとがき」によってはさまれている、という構成となっている。で、なにが「キモっ!」だったのかというと、「手記」全般における、主人公の「自分」つまり太宰自身(と、当時は単純にそう思い込んでいた、というか、後で書くように、思い込まされていた、太宰自身によって)のどろどろした行動、その行動へのいちいち言い訳がましい説明、そして決定的だったのは、「あとがき」において、かつての「自分」つまり太宰自身(と、当時は単純に……以下同文)を知る女性に、「神様みたいないい子でした」などと語らせてしまっている点である。つまり高校生当時の私は、この作品を太宰の自伝的作品として読み、この作品自体を、そしてこのようなナルシシズム溢れる作品を書いた太宰その人を、「キモっ!」と感じたのであった。

 

はい、すっかりだまされてました。

 

この小説を太宰の自伝的作品として読んでは「ならない」、ほぼ30年ぶりにこの作品を読んで、私はこのように認識を改めました(ではどのような作品として読まなければならないのか、それについては改めてどこかで書くつもりですが、ここでちょっとだけ言っておけば、自然人が、いや、ドストエフスキーが、そして魯迅が……いやいや、やっぱりやめておきましょう)。

と思っていたら、七北数人氏がまったく同じようなことを書いていました(『桜桃・雪の夜の話 無頼派作家の夜』、「作品解説」、2013年、実業之日本社文庫……あ、そうそう、この本には太宰と安吾と織田作の座談会が収められているのですが、これが無茶苦茶、面白い!)順番は前後しますが、引用します。

 

「太宰は至るところで、さまざまな手法を使って、作者と主人公が同化して見える仕掛けをほどこしている。」(350

 

「こんなクセモノ作家だから、作品世界のすべては仮想空間の中にある。真実はあっても、事実はない。そのはずなのに、まんまと作者にだまされて太宰を私小説作家とみる人がいかに多いことか。『人間失格』がそうだと言う。だから、廃人のような主人公を知るバーのマダムが『神様みたいないい子でした』と語って終わる締め方が、いやらしいナルシシズムだ、と感じてしまう。相当な読書家のわが友人でさえそんなことを言うのだ、まんまと太宰にだまされて。」(349

 

 太宰について簡単に言っておけば、やはり彼は超一流の小説家であり戯作者であった、つまり、架空の物語をつくり上げ、なおかつ読者にその物語が実話なのではないかと思わせてしまうほどのリアリティをもたせてしまうことが出来る、という意味で超一流の小説家であり戯作者であったということを、認めざるを得ないと、私は考えるようになりました。

 

 そうそう、私がこれまでなぜ太宰が大っ嫌いだったかと言うと、実は「人間失格」にだまされた以外にも、一つ理由がありまして……。

 

 実は私、高校時代に、「国文学研究部」に所属していたんですよ。いや、別に高校時代は純文学少年だったとか、決して決してそういうわけではなく。私の通っていた高校、都内有数の学生街にある私立高校(男子校)だったのですが、その高校、いろいろな点でまるで中学校のようだったのです。たとえば学校指定の制帽(帽子、ボウシ)があって、通学・下校の際には必ず被らなければならない(!)とか、靴下は黒、靴もカジュアルではない黒い革靴でなければならない、などなど(ちなみにその後、全校挙げての「カジュアル論争」が勃発しました。「カジュアルってなんだよぉ!?(怒)」みたいな)。そしてそのような「中学校っぽい点」の一つに、生徒は全員、部活動に参加するべきだ、といった空気がありました(ほら、中学校で部活やってないと「帰宅部」とか言われて迫害されたでしょ?あんな感じです)。で、愛と自由を求める少年だった私、言いかえれば、放課後には男くさいむさ苦しい学校なんか一刻も早く抜け出してカワイイ女子高の女の子やオシャレな女子大生のお姉さまと仲良くしなければならない、と思っていた私は、もっとも簡単にいわゆる「ユーレイ部員」になれそうな部を選んだ。それが、「国文学研究部」だったのです。

 でもね、年度初めの最初の集まりにだけは出席したんですよ。そこにいたのは、顧問の先生一人と、上級生二人。顧問の先生はまだ若い国語教師で、自分が教師であるということ以外には何のプライドもなく、まだ若いが故なのか「生徒にナメられてたまるか!」みたいなオーラが全開の人でした。それから上級生の二人は、どちらも異常に背が低く、なのに顔は異常に大きくて、しかも顔面にはニキビのあとだらけで、そしてなぜだか赤黒い顔をしておりました(息もちょっと臭かったような気がする)。で、今年度は何をしようか、みたいな話になったのですが……。その時にね、先生や上級生が提案したのが、太宰研究だったのです。三人とも太宰が好きだったのか、それとも文学好きな人たちにとって、太宰はやはり永遠のカリスマ、ということなのか、私以外の三人でね、太宰についての熱いトークが始まってしまったんですよ。で、その語り方が、なんと言うか、非常に気持ち悪い。私以外の三人とも、熱く語ってはいるんだけれども、たとえば、他の人の顔とかほとんど見てないんですね(ちなみにこういう気持ちの悪いコミュニケーションしか出来ない人々、逆に言えば、こういう気持ちの悪いコミュニケーションが出来てしまう人々には、約30年を経た今でも、学会等で非常に不快な気分にさせられています)。で、太宰についての熱いトーク(というか三人各々の独白)が延々と続き、しまいには「夏合宿は津軽地方へ」なんていう、とんでもない企画まで出来つつありました。まったく、その時のオイラの心の中に浮かんでいた言葉といえば……「帰りてぇ」(by渋谷先生。わからない方は「グラップラー刃牙」を参照されたし)。

 そんな経験があったせいで、太宰治については、本人の人格や作品とは別に、どうしても苦手意識を抱き続けてきたのでありました。いや、苦手意識どころか、むしろ積極的な嫌悪ですね。誰だったかは忘れましたが、「太宰」を「堕罪」と表現した作家がいて、その作家の書いた文章を読んで、「そうだそうだ!『堕罪おー寒っ』!」とか、そんな風に太宰を嫌悪してきたのでした。

 

……。

……。

……。

え~っと……

あの……

 

だまされてませんか?

 

 つまり、文章で人をだますって、こういうことなんですよ。ここに書いた私の高校時代のエピソード、全部が全部「嘘」だというわけではありませんが、それでも嘘だらけです。たとえばね、実在の先生や先輩について、こんなに失礼なこと、書けますか(このブログを読む可能性なんてほぼ0パーセントであっても)?でもね、だからといってすべてが嘘であるわけではありません。私が「都内有数の学生街にある私立高校(男子校)」に通っていたことは事実ですし、その高校が「いろいろな点でまるで中学校のようだった」というのも事実です。では、どこまでが事実でどこまでが嘘なのか……いや、やっぱり、「全部が『嘘』だというわけではありませんが、それでも嘘だらけです」ということ自体も、やはり嘘なのではないか……。

 

ふふふ(気持ちの悪い笑)、どうです?なんだかワケのわからん話でしょ?何が言いたいのかというと、太宰の作品を解釈するって、結局そういうことに翻弄されることから始めるしかないのではないかと、そんな風に考えているわけです、私は。でも、もちろん翻弄されて終り、ではなくて、言ってみればもっと「メタ」な次元で、「そもそも、そんな風に翻弄し、翻弄されるという事態には、いったいどういう意味があるのか?」みたいなことについて、考えなければいけないわけですけどね。そして、それはきっと、「文章で人をだますということの意義」だとか、もっと大きく言えば「文学の力とは?」みたいな問題になると思うんですけどね。とにかく、まぁ、そんなスタンスで、ちょっとずつ太宰研究、進めていきますよ。

 

てなわけで……

 

「さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。」
                                                                                                                                                   (「津軽」)

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