2016年1月17日日曜日

竹林茶話会 ~哲学Cafe@柏bamboo~ 第七回開催情報


竹林茶話会 ~哲学Cafe@柏bamboo~ 第七回開催情報


 
「竹林茶話会 ~哲学Cafe@柏bamboo~」の開催情報をこちらでお知らせします。

 
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フェイスブック・イベントページ https://www.facebook.com/events/1545056002471497/1545097425800688/

フェイスブック・コミュニティ https://www.facebook.com/chikurinsawakai

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 第七回 開催情報

 開催日時 2016213 17:00〜(19:00頃までを予定)

 開催場所 Bar bamboo http://bar-bamboo.com/(地図等ご参照下さい)

 主催者メールアドレス chikurinsawakai@yahoo.co.jp

             (お問い合わせ、御参加お申し込みはこちらにお願いします)

 料金 1000円(1drink付き)

 
基本ルール

1 人の話はちゃんと聞く

2 『考え方は人それぞれ』は禁止

3 『偉い人』には頼らない
 
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 「竹林茶話会 ~哲学Cafe@柏bamboo~」、第七回目のテーマは

「色(いろ)」

です。

 
みなさんは、「色」という言葉を聞いたとき、どんなことをイメージなさるでしょうか。

「人はどのようにして色を見分けているのだろうか」といった科学的な問題でしょうか。

それとも学校で美術の時間に勉強したグラデーションでしょうか。

あるいは「十人十色」だとか「色と欲」といった言葉の表現でしょうか。

 
「色」という言葉は文字通り、このように実に「色々な」なイメージと結びついていますね。それはちょうど、この世界が実に豊かな「色」で彩られているように……。

 
自然、芸術、文化など、「色々」な分野でのイメージを思い起こさせる「色」、それらのイメージはどのように重なり合い、交り合うのでしょうか。

 
今回も、たくさんの方々のご参加を、お待ちしております!

                                                         (by the master of bar bamboo)  

 

2016年1月13日水曜日

「第六回 竹林茶話会 哲学cafe@柏bamboo」開催後記


「第六回 竹林茶話会 哲学cafe@柏bamboo」開催後記



19日、「第六回 竹林茶話会 哲学cafe@柏bamboo」が開催されました。テーマは「食」。多くの方々にご参加いただき、また、初めてご参加いただいた方々もおられ、2016年、幸先の良いスタートとなりました。応援していただいたみなさま、ご参加いただいたみなさま、心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。


今回の「食」というテーマについて、開催に先立ち、実は少々不安でした。というのは一つには、これまでの哲学の歴史において、「食」ということが本格的に論じられたことがなかった、ということ。また一つには、「食」については実にさまざまな観点から語ることが可能であり、下手をすると収集がつかなくなるのではないか、ということ。
実際にフタを開けてみると、やはり話題は多岐に及びました。今ここで思い出せるままに書き出してみるだけでも、食と価値観の問題、食と気持ち、医食同源、食と健康、調理や食の概念の変化、食と人間関係、味覚の問題、食品偽装問題、体に良い・悪い、食と野生動物……等々。

ところで私は、毎回みなさんの対話をお聞きしながらメモをとっています。そのメモを見ながら、たとえば対話に方向性を持たせることによって対話が広がりすぎないようにするなど、言わば「交通整理」をするわけです。今回とったメモを読み返してみると、「食と文化」、「食と宗教」、「食とコミュニケーション」、「食と本能」、さらには「無為の行為としての食事」などという自分でもなんでそんなことを書いたのかワケが分からないようなことも含めて、実にいろいろなことが書いてあります。ですが今回、私は途中でメモをとることをやめてしまったのでした。そして、今回は無理に交通整理をする必要はない、あるいは「してはいけない」のではないかと考えました。また、哲学はこれまで「食」をテーマにしてこなかっただけではなく、テーマに「出来なかった」のではないか、そんな風にも思いました。


今回、「食」について語るみなさんの表情は、とてもイキイキとしていました。それは一つには、「食」というものがどんな人間にとっても他人事ではないものであり、生きているということに密着しているから、ではないでしょうか。そして哲学に限らず、「学」というものは、すくなくとも従来の学というものは、そのような具体的な場面を離れて、何か一般的なことを語ろうとするものです。哲学も同様です。そして哲学を学んできた私自身にも、そういう傾向は大いにあります。ですが「食」のように、どの人にとっても生きていることに密着したことがらについては、一般的なかたちで語られても、いやむしろ一般的なかたちで語られてしまうことによって、何か大切なことが見落とされてしまう、そういった側面があるように思いました。たとえば「栄養摂取や生命維持という点では食事なんて一人でしても他の人と一緒にしても同じだ」という一般論に対しては、個人的で具体的な「美味しさ」や「幸せ」への想いにもとづいて「いやいや、好きな人と一緒に食べる方が絶対にイイんだもん!」という説得力のある反論も可能なわけですし、また、「食の安全はもっと厳密に守られなければならない」ということに対しては「いやいや、危険を冒してでも食べたいような美味しいものだってあるじゃなかい!」という自分の好きな食べ物に対する切実な想いにもとづいた反論も可能なわけです。つまり、一般的な話を「網」にたとえると、どうしてもその網からはこぼれ落ちてしまうような具体的な要素が「食」のようなことがらにはある、そしてそれぞれの人にとっては、まさにそのこぼれ落ちてしまう要素こそが大切なのである、そのように言えるのではないでしょうか。


このような次第で、ご参加いただいたみなさまの中には、今回は何やらまとまりのない話で終わったと、ご不満な方もいらっしゃったかもしれません。そういった方には申し訳なく想う反面、「自分一人では思いもよらなかった新しいものの見方や考え方と出会う」という哲学カフェの目的は達せられたのではないか、とも思います。とも思う、のですが……さてさて、それにしても大問題です。やはりものごとの意味や価値や考え方というものは「人それぞれ」なのでしょうか。いえいえ、実は「人それぞれ」を主張する人も、実はその根本的な部分においては「人それぞれ」を否定しているのであって……おっと、大きく脱線してしまいそうなので、この話は別の機会に(笑)。いやむしろ、せっかく大問題に突き当たってしまったことですし、ここはひとつ、大きな展望のもとで考えてみましょう。そもそも、一般性を目指すのではなくて、むしろそれぞれの人が抱く具体的な想いを大切にした学あるいは知というものは、あり得ないのでしょうか。今後の竹林茶話会においてみなさんと様々なテーマについて対話をしてゆきながら、このような問いについてもみなさんと一緒に考えてゆければ……今、私はそんな風に思っています。それはもしかしたら、みなさんにとって、あるいは私自身にとっても、これまでの哲学のイメージとはまったく違った、思いもよらないかたちの学であり知であるかもしれません。いやいや、そうであったとしても、やはり哲学的対話の中から生まれた学であり知であるならば、それもやはり哲学的な学であり知であって……おっと、何やら妄想じみてきましたね、どうも失礼いたしました。ここで冷静になって多少強引にまとめますと(笑)、今回の「食」をめぐっての対話、「交通整理」という私の役割について改めて考えさせられると同時に、今後の竹林茶話会の大きな展望についても考えさせてくれたという意味で、私にとっては非常に有意義な対話でありました。みなさま、本当にありがとうございました。
今回最後にご紹介した本です。 (amazonアソシエイト(アフィリエイト))

2016年1月6日水曜日

「第五回 竹林茶話会 哲学cafe@柏bamboo」開催後記


「第五回 竹林茶話会 哲学cafe@柏bamboo」開催後記


 
なさま、新年おめでとうございます。

昨年8月に始まった「竹林茶話会 哲学cafe@柏bamboo」、参加して下さるみなさん、応援して下さ

るみなさんのおかげで、無事に年を越えることが出来ました。ありがとうございます!


さて、ご報告が遅くなりましたが、昨年1219日、「第五回 竹林茶話会 哲学cafe@柏bamboo」が開催されました。テーマは「贈りもの」。今回は圧倒的に女性の参加者が多い中、若い男性参加者が奮闘(?)する姿が印象に残りました。そしてそして、私も含めた男性参加者に、単に机上の空論ではない、ある実践的な知を、しかもしかも、男性にとって永遠に謎であり不安の材料であることについての、ある極めて明解な知を、女性陣から「お贈り」いただきまいた……おっと、これについては最後に(笑)。
そして今回、参加して下さったみなさんには、最後に私の長い話をお聞きいただきました。恐縮です、ありがとうございました。

今回も、これまでの生涯の中で参加者が「した」あるいは「された」贈りものにまつわるエピソードなど、具体的な話題をテーマとして対話は進みました。誕生日、クリスマス、プレゼント交換……思い出を交えてこういったことについて語り合うのは、それだけでも楽しいことでした。

贈りものについてはよく、「モノではなくて気持ちが大事」といったことが言われますよね。でも、その「気持ち」というのが、贈る立場にせよ贈られる立場にせよ、なかなかやっかいなもののようです。贈る立場の人が相手に気持ちを伝えることが難しいのはもちろんのこと、贈られた立場の人の方も、相手がどんな気持ちで自分に贈りものをしてくれたのか、実はなかなか気づくことが出来ないのかもしれません。今回の対話の中である参加者の方が、自分に贈りものをしてくれた相手の気持ちに気付いた時の感激をお話しして下さいました。その貴重なお話を聞いて、私はそんなふうに想いました。

また、「負の贈りもの」についても話題になりました。たとえば「呪い」。それこそ、相手に「気持ち」や「想い」を贈ろうとするという意味では、呪いもまた「贈りもの」なわけです。ですがそんな物騒なかたちにおいてまで、なぜ人は「贈りもの」をしたがるのでしょうか。それはもしかしたら、人間というものはどういったかたちであれ、他の人と「コミュニケーション」しないではいられない生きものだからではないか、そういった意見もありました。

「コミュニケーション」と言えば、人との出会い、さらには別れという経験も、もしかしたら贈りものになるのかもしれない、ということも語られました。具体的なモノではなくても、他の人との関係をきっかけとして自分が変わったのであれば、それはその人からの立派な贈りものと言えるのではないか、と。

そして経済学的な観点から、「贈りもの」というのは一つの「見方」のようなものなのではないか、ということも語られました。たとえばプレゼント交換。もしもプレゼントの金額を厳密に決めての等価交換ということにこだわるのならば、極端な話、同じ額のお金を交換すればそれが一番良いわけで、それではただの経済活動ですね。そういったただの経済活動と贈りものとを区別するものは何なのか。それはたとえば「心の余裕」といった、やはり「気持ち」の問題なのかもしれません。

そしてさらには、文化人類学や民俗学で論じられる原始的な経済活動における「贈与」についても話題になりました。21世紀になっても人類の発想というのはそうそう昔と変わっていないのではないか、そういったことにまで対話は及びました。

そして最後に私の話……いや、長かったので、もうここでは繰り返しませんのでご安心を(笑)。ただ、簡単にまとめて申し上げますと……

「哲学も『贈りもの』になり得る。」

ということです。

そういったわけで(笑)、今年も毎月一回、哲学を通じてみなさんに「贈りもの」を差し上げることができるような、そして私自身もみなさんから「贈りもの」をいだだけるような、そういった集まりにしてゆきたいと思います。
みなさま、2016年も、「竹林茶話会 哲学cafe@柏bamboo」を、どうぞよろしくお願いします!



……おっと、忘れてはいけません。

最初に申し上げた、私も含めた男性参加者が女性陣からお贈りいただいた知識、それは……

「女性は、男性から花を贈られると、本当に嬉しい。」

ということで、男性のみなさま、臆することなく女性に花を贈りましょう!
 
 
 
最後にご紹介した、中村雄二郎先生の本です。(Amazon アソシエイト(アフィリエイト))