2016年1月13日水曜日

「第六回 竹林茶話会 哲学cafe@柏bamboo」開催後記


「第六回 竹林茶話会 哲学cafe@柏bamboo」開催後記



19日、「第六回 竹林茶話会 哲学cafe@柏bamboo」が開催されました。テーマは「食」。多くの方々にご参加いただき、また、初めてご参加いただいた方々もおられ、2016年、幸先の良いスタートとなりました。応援していただいたみなさま、ご参加いただいたみなさま、心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。


今回の「食」というテーマについて、開催に先立ち、実は少々不安でした。というのは一つには、これまでの哲学の歴史において、「食」ということが本格的に論じられたことがなかった、ということ。また一つには、「食」については実にさまざまな観点から語ることが可能であり、下手をすると収集がつかなくなるのではないか、ということ。
実際にフタを開けてみると、やはり話題は多岐に及びました。今ここで思い出せるままに書き出してみるだけでも、食と価値観の問題、食と気持ち、医食同源、食と健康、調理や食の概念の変化、食と人間関係、味覚の問題、食品偽装問題、体に良い・悪い、食と野生動物……等々。

ところで私は、毎回みなさんの対話をお聞きしながらメモをとっています。そのメモを見ながら、たとえば対話に方向性を持たせることによって対話が広がりすぎないようにするなど、言わば「交通整理」をするわけです。今回とったメモを読み返してみると、「食と文化」、「食と宗教」、「食とコミュニケーション」、「食と本能」、さらには「無為の行為としての食事」などという自分でもなんでそんなことを書いたのかワケが分からないようなことも含めて、実にいろいろなことが書いてあります。ですが今回、私は途中でメモをとることをやめてしまったのでした。そして、今回は無理に交通整理をする必要はない、あるいは「してはいけない」のではないかと考えました。また、哲学はこれまで「食」をテーマにしてこなかっただけではなく、テーマに「出来なかった」のではないか、そんな風にも思いました。


今回、「食」について語るみなさんの表情は、とてもイキイキとしていました。それは一つには、「食」というものがどんな人間にとっても他人事ではないものであり、生きているということに密着しているから、ではないでしょうか。そして哲学に限らず、「学」というものは、すくなくとも従来の学というものは、そのような具体的な場面を離れて、何か一般的なことを語ろうとするものです。哲学も同様です。そして哲学を学んできた私自身にも、そういう傾向は大いにあります。ですが「食」のように、どの人にとっても生きていることに密着したことがらについては、一般的なかたちで語られても、いやむしろ一般的なかたちで語られてしまうことによって、何か大切なことが見落とされてしまう、そういった側面があるように思いました。たとえば「栄養摂取や生命維持という点では食事なんて一人でしても他の人と一緒にしても同じだ」という一般論に対しては、個人的で具体的な「美味しさ」や「幸せ」への想いにもとづいて「いやいや、好きな人と一緒に食べる方が絶対にイイんだもん!」という説得力のある反論も可能なわけですし、また、「食の安全はもっと厳密に守られなければならない」ということに対しては「いやいや、危険を冒してでも食べたいような美味しいものだってあるじゃなかい!」という自分の好きな食べ物に対する切実な想いにもとづいた反論も可能なわけです。つまり、一般的な話を「網」にたとえると、どうしてもその網からはこぼれ落ちてしまうような具体的な要素が「食」のようなことがらにはある、そしてそれぞれの人にとっては、まさにそのこぼれ落ちてしまう要素こそが大切なのである、そのように言えるのではないでしょうか。


このような次第で、ご参加いただいたみなさまの中には、今回は何やらまとまりのない話で終わったと、ご不満な方もいらっしゃったかもしれません。そういった方には申し訳なく想う反面、「自分一人では思いもよらなかった新しいものの見方や考え方と出会う」という哲学カフェの目的は達せられたのではないか、とも思います。とも思う、のですが……さてさて、それにしても大問題です。やはりものごとの意味や価値や考え方というものは「人それぞれ」なのでしょうか。いえいえ、実は「人それぞれ」を主張する人も、実はその根本的な部分においては「人それぞれ」を否定しているのであって……おっと、大きく脱線してしまいそうなので、この話は別の機会に(笑)。いやむしろ、せっかく大問題に突き当たってしまったことですし、ここはひとつ、大きな展望のもとで考えてみましょう。そもそも、一般性を目指すのではなくて、むしろそれぞれの人が抱く具体的な想いを大切にした学あるいは知というものは、あり得ないのでしょうか。今後の竹林茶話会においてみなさんと様々なテーマについて対話をしてゆきながら、このような問いについてもみなさんと一緒に考えてゆければ……今、私はそんな風に思っています。それはもしかしたら、みなさんにとって、あるいは私自身にとっても、これまでの哲学のイメージとはまったく違った、思いもよらないかたちの学であり知であるかもしれません。いやいや、そうであったとしても、やはり哲学的対話の中から生まれた学であり知であるならば、それもやはり哲学的な学であり知であって……おっと、何やら妄想じみてきましたね、どうも失礼いたしました。ここで冷静になって多少強引にまとめますと(笑)、今回の「食」をめぐっての対話、「交通整理」という私の役割について改めて考えさせられると同時に、今後の竹林茶話会の大きな展望についても考えさせてくれたという意味で、私にとっては非常に有意義な対話でありました。みなさま、本当にありがとうございました。
今回最後にご紹介した本です。 (amazonアソシエイト(アフィリエイト))