「純粋経験」という「型」
小林秀雄は世阿弥の言葉について論じた「当麻」の中で次のように述べている。有名な件(くだり)なので、ご存知の方も多いのではないかと思う。
それは少しも遠い時代ではない。何故なら僕は殆どそれを信じてゐるから。そして又、僕は、無理な諸観念の跳梁しないさういふ時代に、世阿弥が美といふものをどういふ風に考へたかを思ひ、其処に何の疑はしいものがない事を確めた。「物数を極めて、工夫を尽して後、花の失せぬところを知るべし」美しい「花」がある。「花」の美しさといふ様なものはない。彼の「花」の観念の曖昧さに就いて頭を悩ます現代の美学者の方が、化かされてゐるに過ぎない。
私がここで小林のこの言葉を引いたのは、一方ではここに述べられていることが西田幾多郎の「純粋経験」の概念を連想させるからであり、他方では坂口安吾が「教祖の文学」において、この文章を言わばダシにして小林を批判しているからである。
まず、西田の純粋経験の概念について、西田自身の言葉を読んでみよう。
経験するというのは事実其儘に知るの意である。全く自己の細工を棄てて、事実に従うて知るのである。純粋というのは、普通に経験といっている者もその実は何らかの思想を交えているから、毫も思慮分別を加えない、真に経験其儘の状態をいうのである。たとえば、色を見、音を聞く刹那、未だこれが外物の作用であるとか、我がこれを感じているとかいうような考のないのみならず、この色、この音は何であるという判断すら加わらない前をいうのである。それで純粋経験は直接経験と同一である。自己の意識状態を直下に経験した時、未だ主もなく客もない、知識とその対象とが全く合一している。これが経験の最醇なる者である。(『善の研究』)
純粋経験においては未だ知情意の分離なく、唯一の活動であるように、また未だ主観客観の対立もない。主観客観の対立は我々の思惟の要求より出でくるので、直接経験の事実ではない。直接経験の上においてはただ独立自全の一事実あるのみである、見る主観もなければ見らるる客観もない。恰も我々が美妙なる音楽に心を奪われ、物我相忘れ、天地ただ嚠喨たる一楽声のみなるが如く、この刹那いわゆる真実在が現前している。これを空気の振動であるとか、自分がこれを聴いているとかいう考は、我々がこの実在の真景を離れて反省し思惟するに由って起ってくるので、この時我々は已に真実在を離れているのである。(同書)
「全く自己の細工を棄てて」だとか「毫も思慮分別を加えない」だとか「未だ主もなく客もない、知識とその対象とが全く合一している」だとか説明されているところから、西田の説く純粋経験は、世阿弥の言うところの「物数を極めて、工夫を尽して後」に得られるものとは、一見全く逆のもののように思われる。だがそうではない。我々が通常「経験」としているものには、常に既に「何らかの思想を交えている」、つまり「知情意の分離」や「主観客観の対立」を前提としているのであり、我々はそこにおいて「実在の真景を離れて反省し思惟する」のである。ヘーゲル流に言えば、我々の経験は常に既に媒介を含んでいるのである。だから「実在の真景」あるいは「真実在」を直接的に経験しようとすれば、そういった前提あるいは媒介を、「物数を極めて、工夫を尽して」取り払わなければならない、フッサール流に言えば「現象学的還元」を実行しなければならないのである。
さて、安吾である。「美しい『花』がある。『花』の美しさといふ様なものはない」、安吾には小林のこの表現が気に食わない(ちなみに「教祖の文学」の中で、安吾はこの表現を三度引用している)。「私は然しこういう気の利いたような言い方は好きでない。本当は言葉の遊びじゃないか」。だが、安吾は小林のこのような考え方自体を否定しているわけではないのであり、むしろ基本的には同意しているのである。安吾が気に食わないのは、小林がこのような考え方を「鑑賞」のための一つの「型」にしてしまった、ということなのである(つまり、安吾はここで「デカダン文学論」において「型の論理」や「論理の定型性」といった概念を通じて展開した知識人への批判を、小林に対しても展開しているのである。なお、詳しくは当ブログの以前の投稿記事「倫理という『スキル』?2」を参照されたい。http://achirakochirainochigake.blogspot.jp/2015/04/blog-post_19.html)。
安吾のこのような批判は、「純粋経験」の概念をめぐっての一つの重要な問題を指摘するものでもある。つまり、前提や媒介を取り払って純粋にあるいは直接に物事を経験するためには、まさに前提や媒介を取り払うための前提や媒介が、安吾の言うところの「型」が、さらに必要なのである。では、安吾は純粋経験や直接経験といったこと自体を否定するのであろうか。決してそんなことはないのであるが、このことについては後に論じるとして、今は「教祖の文学」における安吾の小林批判をさらに見てゆくことにする。
彼は天性の公式主義者であり、定石主義者であり、保守家であり、常識家であって、死人はともかく死んでおり、もう足をすべらして墜落することがないから安心だが、生きた奴とくると、何をしでかすか分らず、教祖の如く何をしでかす魂胆がなくとも、足をすべらしてプラットホームから落っこちる、どこに伏兵がひそんでいるか分らない。実にどうも生きるということはヤッカイだ。
生きている人間などは何をやりだすやら解ったためしがなく鑑賞にも観察にも堪えない、という小林は、だから死人の国、歴史というものを信用し、「歴史の必然」などということを仰有る。
生きている人間というものは「何を考へてゐるのやら、何を言ひだすのやら、仕出かすのやら、自分の事にせよ、他人事にせよ、解つた例ためしがあつたのか」(「無常といふこと」)。安吾もこのことは認める。だが、安吾と小林では、その事実を認めることに基づく態度の、言わばベクトルが真逆なのである。
生きてる奴は何をやりだすか分らんと仰有る。まったく分らないのだ。現在こうだから次にはこうやるだらうという必然の筋道は生きた人間にはない。(中略)人間に必然がない如く、歴史の必然などというものは、どこにもない。
そして、安吾はこの事実を自らの文学の出発点としていたのであり、さらには哲学や宗教といった諸々の思想というものもまた、この事実を出発点としなければならないと考えていたのである。このことにかんしての安吾の言葉を、多少長くなるが引用しておく(安吾らしさがあふれる名文であるとも思うので)。
人間というものは、自分でも何をしでかすか分らない、自分とは何物だか、それもてんで知りやしない、人間はせつないものだ、然し、ともかく生きようとする、何とか手探りででも何かましな物を探し縋りついて生きようという、せっぱつまれば全く何をやらかすか、自分ながらたよりない。疑りもする、信じもする、信じようとし思いこもうとし、体当り、遁走、まったく悪戦苦闘である。こんなにして、なぜ生きるんだ。文学とか哲学とか宗教とか、諸々の思想というものがそこから生れて育ってきたのだ。それはすべて生きるためのものなのだ。生きることにはあらゆる矛盾があり、不可決、不可解、てんで先が知れないからの悪戦苦闘の武器だかオモチャだか、ともかくそこでフリ廻さずにいられなくなった棒キレみたいなものの一つが文学だ。
「自分でも何をしでかすか分らない、自分とは何物だか、それもてんで知りやしない」、そんな人間が「あらゆる矛盾」、「不可決」、「不可解」に直面する、安吾に言わせればそれが人間の純粋経験というものなのであり、それを「自分の事」として表現したものが文学なのである、ということになろう。またさらに言えば、そのような人間の在り方をそのままに受けとめることもまた純粋経験なのであり、それを「他人の事」として論じたものが批評なのである、ということになろう。だが純粋経験を「鑑賞」のための一つの「型」としてしまい、今や「どんな思想も意見も彼を動かすに足りぬ」という、言わば境地に達してしまった「教祖」である小林は、たとえば西行や実朝や兼好のまなざしを小林自身の「型を通した」まなざしと重ね合わせて彼らの作品を鑑賞するにすぎない、つまり彼らの純粋経験を共有することもなければ、彼らの作品に接した際の小林自身の純粋経験を表現することもないのである。安吾は小林のこのような態度への言わばアンチテーゼとして、宮沢賢治の遺稿である「眼にて言ふ」を引用する。ここでも引用しておこう(いや、話の流れからすれば引用する必要もないのだけれども……まぁ、ここは私のブログであって字数制限もないし、それに私自身が好きな詩なので、まぁ、いいでしょう)。
だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆふべからねむらず
血も出つゞけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといい風でせう
もう清明が近いので
もみぢの嫩芽と毛のやうな花に
秋草のやうな波を立て
あんなに青空から
もりあがつて湧くやうに
きれいな風がくるですな
あなたは医学会のお帰りか何かは判りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば
これで死んでもまづは文句もありません
血がでてゐるにかゝはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それを言へないのがひどいです
あなたの方から見たら
ずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やつぱりきれいな青ぞらと
すきとほつた風ばかりです
さきに私は安吾が純粋経験や直接経験といったものを否定しているわけではないと言った。むしろ安吾は、純粋経験や直接経験の可能性が人間の本性に本来的に備わっているはずであると、それこそ純粋に、そして理論的にではなく直接的に知っていた(そしてそれをいかにして表現するかということが、安吾の文学上の生涯の課題であったとも言えるかもしれない)。だからこそ、小林のように「型」を媒介とした見方に対して苛立ちを覚えたのであろう。
人間は悲しいものだ。切ないものだ。苦しいものだ。不幸なものだ(人間の本性 論者)。(中略)美というものは物に即したもの、物そのものであり(つまり世阿弥の言葉を安吾も肯定しているのである 論者)、生きぬく人間の生きゆく先々に支えとなるもので、よく見える目というものによって見えるものではない。/美は悲しいものだ。孤独なものだ。無慙なものだ。不幸なものだ。人間がそういうものなのだから。
まことの文学というものは久米の仙人の側からでなければ作ることのできないものだ。本当の美、本当に悲壮なる美は、久米の仙人が見たのである。いや、久米の仙人の墜落自体が美というものではないか。(中略)落下する久米の仙人はただ花を見ただけだ。その花はそのまま地獄の火かも知れぬ。(中略)人間だけが地獄を見る。然し地獄なんか見やしない。花を見るだけだ。
死の瀬戸際で血を吐き続ける賢治の姿は、傍から見れば地獄の苦しみを味わう姿に見えるかもしれず、また、神通力を失って墜落する仙人の姿は、傍から見れば地獄に堕ちる姿に見えるかもしれない。だが賢治が目に映ったものはきれいな青空と透き通った風という「花」だったのであり、仙人の目に映ったものは女の美しいふくらはぎという「花」だったのである。人間は、そして仙人でさえも、どんな状況にあろうと、何をしでかすか、何を感じるか、そして何を見るか、わからない。だが安吾に言わせれば純粋経験とはそういったところにこそ成立するものなのであり、そのわからなさを知ることもまた純粋経験である、ということになろう。
さて、安吾の小林への批判は、西田にも同じように当てはまるのであろうか。このことについて考えるために、安吾の立場をより具体的に検討してみたい。だがその前に、「教祖の文学」で述べられている安吾の作家論を、次回、検討してみたい。なぜならばそれは、西田の「行為的直観」の概念を連想させるからである。