2016年8月14日日曜日

「第十三回 竹林茶話会 哲学cafe@柏bamboo」開催後記


「第十三回 竹林茶話会 哲学cafe@柏bamboo」開催後記



「子どもの頃、デパートのUFO展に行ったら、見知らぬおじさんにつかまって、ミステリー・サークルがいかにインチキなものであるのか、懇々と説かれた。」

「落ち武者の幽霊は現われるのに、なぜ縄文人の幽霊は現われないのか?」

 
813日、「第十三回 竹林茶話会 哲学cafe@柏bamboo」は、このようなとっても楽しい話題から始まりました。

テーマは「不思議な体験、ありますか?」

参加者はマスターと私を含めて13名。今回も、初めて参加してくださった方々がおられ、嬉しい限りです。応援していただいたみなさま、ご参加いただいたみなさま、心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。

 
さて、白状いたします。私、今回は「夏休み特別企画」とか「納涼企画」といった感じで、冒頭にご紹介したような楽しいお話を、とりとめもなく続けられればそれで良いかなぁ~などと、思っておりました。

が、しかし……やはり、哲学カフェ。どうしても哲学的な方向に、話は展開してゆくのですね(笑)。考えてみれば、哲学って歴史的には、不思議なこと、不思議だとされていたことに対する、人間の一つの知的な態度として発達してきたとも言えるわけで、今回のテーマ、そもそも、とってもとっても哲学的だったのかもしれません。

 
そして対話の観点は、「不思議」から、「謎」、「恐怖」等々へと、広がってゆきました。また、話題も、「ホラー映画」、「恐怖と文化」、さらには「夢」など、多岐に渡ったのでした。

 
そもそも、なぜ人は「不思議な体験」をするんだ?

それは「不思議」に対する「願望」を、人が抱いているからじゃないのか?

いや、「願望」っていったって、どんな願望だ?

「不思議だ」とか「怖い」とか言いながら、実はみんな、そういうのを楽しみたいんじゃないか?

いやいや、そもそも、人はなんでそんな「願望」を抱くんだ?

ちょっと待った、「願望」とか「楽しさ」ってことはさ、じゃぁ、「不思議」な感じって、個人的なもの、なのかな?

いやいやいや、「あーそれは不思議だね」って、他の人に認めてもらってその「不思議さ」を他の人と共有できなきゃ、そもそも「不思議」って言えないんじゃないのか?

だからさ、結局その「不思議」って、そもそもなんなんだ?


……等々、「不思議」をめぐって、「謎」は深まっていったのでした。

夏のこの時期に実に相応しい、また、非常に哲学的な、濃密な対話となったのではないかと思います。

 
さて、「竹林茶話会 哲学cafe@柏bamboo」、次回第十四回は、910日を予定しております。テーマはまだ決まっておりません。こんな話をしてみたい、といったご希望ご提案などございましたら、ぜひぜひお寄せ下さい。

次回もたくさんの方々のご参加を、お待ちしております!

 

今回ご紹介した本です。
実は今回、ぜひともこの時期に、この本を読んでいただきたい、あるいは映画化された作品をご覧いただきたいと思い、この「開催後記」、ちょっとがんばっていつもより早めにUPいたしました(笑)。オススメです!(Amazonアソシエイト(アフィリエイト))
山田太一『異人たちとの夏』(新潮文庫、1991年)
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