2015年7月15日水曜日

「竹林茶話会 ~哲学カフェ@柏bamboo~」 フライヤー 

 
 「竹林茶話会 ~哲学カフェ@柏bamboo~」が開催されるお店のマスター・庄司君が、素敵なフライヤー(最近ではチラシのことをこう呼ぶんですね)を作ってくれました。
感謝感激!
 
 
 
 
 
 
(以下、読んでいただければ幸い。)
 
  ところで庄司君と僕とは、小学校・中学校・高校と、同じ学校に通う同級生でした。中学校まで一緒というのはよくあることかもしれませんが、高校まで一緒というのはあまり例がないのではないでしょうか。しかも僕たちの場合は、地元の千葉県柏市から東京都内の私立高校に通うために、毎日約1時間かけて「上京」していたのでした。ちなみに庄司君、高校時代は哲学書とか思想書とか純文学とか、間違いなく僕なんかよりもず~っとたくさん読んでました。そして、今回のフライヤーをご覧になってもおわかりのように、当時からアートへの造詣も深く、そしてそして、ロックンロールのヒーローでした!(なんだかこう書くと、村上龍の『69』の主人公のようですね)
 
 ということで、庄司君とのことをいろいろと思い出していたのですが……ふと、小学校時代の、庄司君とのある会話を思い出しました。あれは5年生か6年生の頃だったと思います。当時、日本のメディアを「戸塚ヨットスクール」という名が騒がしておりました。ご存知ないであろう若い方々、それにこの名をもうすっかり忘れてしまったという方々のためにすこし説明させていただくと、戸塚さんという方が主催するヨットの教室があったんですね(てか、そのままじゃないか^^;)。そこは一種の更生施設で、非行等いろいろと問題のある少年少女たちを、ヨットの乗り方などを教えることを通じて更生させようという、そういう教室だったようです。ところがこの教室の教育方針が超スパルタ式。ただの暴行行為と変わらないほどの体罰が、指導員たちによって生徒たちに日常的に加えられているらしいということが、ニュースやワイドショーなどでさかんに報道されていたのでした。そして、体罰によって死亡した生徒もいたことなどが明らかになって、戸塚さんは逮捕され、報道はますます過熱していったのでした(ちなみに若き日の竹中直人が、連行される際の戸塚さんの様子のモノマネを持ちネタとしていました)。
 
 
 そんな頃の、ある朝。陸上部に所属していた僕たちは、いつものように「慣らし」のためグランドを走っていました(ちなみに、庄司君と僕は6年生の時の400メートルリレーのチームのメンバーで、僕たちのチームは柏市の陸上大会で優勝!金メダルをもらいました!)。まぁ「慣らし」ですからね、いろいろとおしゃべりしながらタラタラと走るわけですよ。で、戸塚ヨットスクールの話題になったのでした。僕も含めてみんな、戸塚さんやスクールについて、テレビで聞いた通りのスキャンダラスな批判や中傷を繰りかえすだけなんですね。そんな中、庄司君だけは違っていました。たとえばこんな一言……
 
「生徒たちの方にだって、悪い奴はいたかもしれないじゃないか。」
 
 どうです?小学生の言葉、ですよ?(笑)でも私がなぜ今回この思い出について書いたのかというと、それは別に「僕の友だちの庄司君って昔からこんなにスゴい人だったんだよぉ~!」とか自慢するためではなく(いや、実際に昔からスゴい人だったんですけどね)、竹林茶話会のコンセプトを詰めている現在、この出来事は実に象徴的なもののように思われるからです。少なくともその時の僕にとってこの時の会話は、庄司君のこの一言によって、もはやただの「おしゃべり」ではなくなっていた。「生徒たちの方にだって悪い奴はいたかもしれない」、問題はこの内容の是非ではない、つまり、本当に生徒たちの方にも悪い奴がいたのかどうかといったことは、さしあたってその際は問題ではなかったのです。ただ重要なことは、庄司君のこの一言によって、僕は戸塚ヨットスクールについての自分の考え方が、どんなに偏ったものであったか、そして、いかにテレビで見たり聞いたりしたことを無抵抗に受け入れてしまっていたか、そういったことに気付かされた、ということなのです(いや、ここまで言ってしまうと、もう大人になってからの「後知恵」的な解釈かもしれません^^;)。
 
ところで哲学カフェとは、そもそも1992年にマルク・ソーテという人物がパリの近郊で開いのが最初であり、その後ひとつのムーヴメントとして、世界中に広まっていったのでした。そしてソーテにとっての本来の哲学とは、たとえば教える側から教えられる側へと伝えられる高尚な知といったものではなくて、「ソクラテス的問答法」、つまり「対話」によって成立するものだったのでした……おっと、この辺についての詳しい話は別の機会にするとして、とりあえず何が言いたいのかというと、庄司君とのこの時の会話は、もはや「おしゃべり」ではなく、ソーテが言うところの「対話」であった、いや、さすがにそれは言い過ぎだとしても、でも少なくとも、そこから本格的な対話が、つまり哲学が、育ってゆくこともあり得るような、言ってみれば「萌芽」ではあった、僕にはそう思えるんですね(たとえば、僕はさきほど「生徒たちの方にだって悪い奴はいたかもしれない」という言葉の内容の是非はさしあたり問題ではない、と言いましたが、何にせよ内容の是非についてのきちんとした議論は、まずはこの問題を論じようとする人たちが「自分の意見や考え方は、もしかしたらとっても偏っているかもしれない、あるいは、もしかしたら他の誰かから聞いたことの受け売りにすぎないのかもしれない」、そういう可能性に気付くことから始まると思うのです)。そしてそういう意味では、僕の今のあり方のルーツの一つが、この時の庄司君の言葉にあるのかもしれないし、そしてその庄司君とこれから一緒に哲学カフェをやっていくのだと想うと、なにやらとってもとっても感慨深いものがあるのです。
 
 ということで、竹林茶話会の会場には、元400メートルリレーの選手のおじさんが、毎回二人います(僕なんかと同じ「おじさん」にカテゴライズしてしまって、庄司君、ごめんなさい!^^;)。その二人のうち、髪の毛が薄くない方、イケメンの方の元400メートルリレーの選手が、庄司君です。