2015年6月23日火曜日

文学と哲学と ─近代日本思想への「エッセイ」=「試み」─ 9

「無の論理」は「論理」どころではない 1


 さて、前回少しだけ、西田の「心の論理」というものについて考えた。「心の論理」などというと何やらいかにも宗教がかった雰囲気を感じさせるし、前回引用したように、そもそも西田自身もこれを仏教思想と関連させて論じている。さて、仏教、あるいは広く宗教的な思想あるいは「知」は、論理となり得るのだろうか、西田が取り組んでいたのはまさにこのような問題だったのであり、さらに具体的に西田の哲学に引き付けて言うならば、結局のところ、絶対矛盾的自己同一の論理は「弁証法」であると言えるのだろうか、という問題になる。この問題にかんしては、なかなか上手くいかなかったというのが実情であるようだ。西田自身も、「人は私の論理と云うのは論理ではないと云う。宗教的体験だなどと云う」だとか「私の論理と云うのは学界からは理解せられない、否未だ一顧も与えられないと云ってよいのである」だとか、苛立ちとも不安ともとれる言葉を残している(「私の論理について」)。

そして、西田のこのような問題点を、とくに宗教と哲学あるいは論理との関係に着目して指摘し批判した人物が田辺元であった。

西田先生が自覚を以て意識の本質とせられ、而うして自覚とは自己が自己のうちに自己を限定することであるが、斯かる自覚の無にして自己を観るに至って完成すると考え、自己を失うことが却て真に自己を得る所以であり、無にして観る自己の本然に還ることが自己を愛する所以にして、自愛すなわち自己の存在なることを説かれた深き教説は、先生の独自なる体験を披瀝せられたものとして、私はただその比類稀なる高遠深邃の思想を仰ぐばかりである。併しながら哲学は果して斯かる宗教的自覚を体系化することが出来るものであろうか。(「西田先生の教を仰ぐ」)

そして、西田の哲学における「自覚」に着目しこのような批判をさらにラディカルに推し進めた人物が戸坂潤であった。戸坂は「西田哲学の方法はつまる処決して何等かの弁証法ではないので、却って弁証法を説明する処の或る他の一つの方法でしかないのである」と言っている(「『無の論理』は論理であるか」)。そしてさらに、次のように述べる。

論理は元来存在の論理でなければならぬ。ということは弁証法的論理でなければならぬということである。(中略)唯物弁証法的論理こそ本当に唯一の存在の論理であり、従って又本当の論理なのである。─で、無の論理は論理ではない、なぜなら、それは存在そのものを考えることは出来ないのであって、ただ存在の「論理的意義」だけをしか考え得ないのだから。

 もちろん、戸坂の西田批判の動機は「唯物弁証法的論理こそ本当に唯一の存在の論理であり、従って又本当の論理なのである」と明言することにあったわけであるが、それにしても「西田哲学の方法は……弁証法を説明する処の或る他の一つの方法でしかない」だとか、無の論理が「存在そのものを考えることは出来ない」だとか「ただ存在の『論理的意義』だけをしか考え得ない」とはどういうことか。以下、戸坂による西田哲学論を見てみよう。

 戸坂はフィヒテ、シェリング、ヘーゲルといったいわゆるドイツ観念論の哲学者たちの系譜に、西田を位置づける。彼らの「実在に関する諸根本概念─諸範疇─を、思考に於て如何に組織し秩序づけるか」、あるいは「世界を範疇組織として解釈しようとする」企てを、西田哲学は「最も純粋な最も自覚された形にまで、徹底させた」のであって、この「徹底」に西田哲学の固有性があるのだと、戸坂は言う。ここで「概念」あるいは「範疇」すなわち「カテゴリー」とは、ごく簡単に言えば、我々が世界を把握する仕方を決定するものであると言ってよい。あるいは、我々は概念あるいは範疇(カテゴリー)を通じて世界を把握している、このように言っても良かろう。さしあたり概念あるいは範疇(カテゴリー)をこのようなものであるとして(というか同業者の方々、今日のところはこの辺で勘弁してやって下さい)、またもごく簡単に言えば、上に挙げられたいわゆるドイツ観念論の哲学者たち、中でも特にヘーゲルは、そのような概念あるいは範疇(カテゴリー)を、弁証法的に移行するあるいは展開するあるいは発展するものとして描いたのであった(この辺について詳しく話し始めるとたちまちヘーゲルの話になっちまうもんで……同業者の方々、今日のところは……以下省略)。これもまたごく簡単に言えば、たとえばヘーゲルの場合、我々の世界把握は対象を「有る」ととらえるところからはじまり、さらに「それは何であるか」つまりその対象の「本質」をとらえるようになり、はては対象を「絶対者」との関連においてとらえるまでになるのである(この辺について詳しく話し始めるとたちまちヘーゲルの話に……以下省略)
 では、西田哲学の固有性とはどのようなものか。戸坂は述べる。

西田哲学の方法にとっての第一のそして終局の問題は、如何にして存在なるものを考え得るかである、と云っていい。ここですでに注意しなければならないのは、存在が何であるか─例えば物質であるか精神であるかそれとも両者の合一未分のものであるか等々─ではなくて、どう考えたならば存在というものを考えることが出来るかが問題なのである。存在自身ではなくて存在という範疇が、存在という概念が、いかにして成り立つかである。ここは根本的に大事な点である。

 
 「如何にして存在なるものを考え得るか」、「どう考えたならば存在というものを考えることが出来るか」、「存在自身ではなくて存在という範疇が、存在という概念が、いかにして成り立つか」、これが西田の問題であるというのである。つまり、たとえば上に見たヘーゲルの場合とくらべて、西田の場合は問題意識がはるかにラディカルであるということになる。ヘーゲルの論理学の場合には「有」つまり「存在」から弁証法の運動が始まるのであるが、西田の場合にはより根本的に、「有」=「存在」という概念あるいは範疇(カテゴリー)がそもそもいかにして成立するのかというところから出発するのであり、そして「有」=「存在」が、たとえばヘーゲルの論じる弁証法(過程的弁証法)の出発点である以上、西田による弁証法の議論は、そもそもいかにして弁証法が可能になるのかということを問うものなのである。

戸坂は、西田が存在という概念あるいは範疇の成立過程を論じた「一般者の自己限定」の議論に注目する。すなわち西田は、「存在を判断における限定の関係から把握しようとする」のであり、「存在」と考えられるものがすべて「一般者の自己限定でなければならない」とするのである(「判断」と「限定」についてはそのうちに詳しく論じます)。西田の議論において、判断的一般者、自覚的一般者、行為的一般者等、様々なレヴェルで一般者の自己限定について論じられるのであるが、要するに肝心なのは戸坂によって次のように論じられる点である。

上にある一般者は底にある一般者の自己限定と考えられるわけであるが、それでは、最後の底にある一般者は何の一般者の限定であるか。最後の一般者と雖も一般者と考えられ得る以上限定されたものであり、ある処のものである、それは最後の有である。だがそういう有の一般者が限定である限り、之を限定するものが考えられねばならぬ。処でそれは最後の有より一枚彼岸にあるのだから、もはや有ではあり得ない。底には何もない、何も無くて而も限定しなければならぬから、無にして限定する無の自己限定が考えられなければならない。場所とは無の場所だったのである。

 無の自己限定、「無にして限定する」ということそが、西田の言うところの「自覚」あるいは「意識」であると、戸坂は言う(ところでそもそもなぜこのような「自覚」が成り立つのかと言えば……http://achirakochirainochigake.blogspot.jp/2015/05/blog-post_26.html)。「自覚・意識は一方に於て無の限定であり、他方に於て併しながらそれであるが故に初めて有(存在)であることが出来たのだから、同時に二つの面を直接に重ねて持っているわけで、前者を西田はノエシス面、後者をノエマ面と呼び慣わしている」。「意識は常になにものかについての意識である」(フッサール)と言われる場合の意識の働きが「ノエシス面」、「なにものか」が「ノエマ面」というわけである。このように、自覚において無が限定されることによって、言いかえれば自覚のノエマ的側面として、「存在」=「有」の概念あるいは範疇(カテゴリー)をはじめとして様々な概念あるいは範疇(カテゴリー)が成立することになる。このようにして「一切の存在の諸範疇は、『無の自覚的限定』として、組織づけられ体系づけられねばならならぬことになる」のであって「之が実質から云って西田哲学の体系となるべきもの」であると、戸坂は言う。先に見たように、ドイツ観念論の哲学者たちの系譜に位置付けて見れば、西田がこのような方向に向かうであろうと考えるのは、当然であろう(このことについても、いずれ詳しく論じることになると思うが、西田は実際にこのような方向に向かおうとするのであるが、その試みははっきり言って成功しているとは言い難いようである)。

  ところで西田はなぜそもそも「無の論理」といったものを考えなければならなかったのか。戸坂は西田の、言わば「言い分」を、次のようにまとめる。すなわち、「従来の哲学の大抵のものは、何かの片手落ちや無理をして来ているのであるが、西田哲学は相反する凡ゆる哲学的要求を素直に受け入れ、夫々の間の撞着・矛盾を、結び付き得ない筈のものを、あり態に暴露する」、さらに西田は考える、「結び付き得ないものは結び付き得ない筈のものである(例えば主観と客観・未来と過去・歴史とイデア・等々)、それが永久に結びつかないことこそそれの本性なのだ。だがそれは事実としては結び付いているのであって、(従来の哲学の大抵のものは 論者)ただどうしてもその結び付きが考え得られないという困難に陥っているにすぎない」。なぜか、「それは考え方が悪いのだ」、つまり、「存在を在るもの・有から出発して考えるからで、有の論理を以って考えようとするからである」。だからこそ、「在るもの・有から出発して考える」のではなく、西田のように「無にして限定するものを考えることが必要になってくる」のである。「存在は無の限定として、無から出発して考えられねばならぬ、そうしなければ一般に凡そ存在なるものは考えられぬ、救うべからざる矛盾に陥って了う他はない」、だからこそ、必要なのは「有の論理」ではなく「無の論理」である、と。

戸坂は、西田がこのように論じる「無」が、「決して何か神秘主義的な」ものではないとし、それが「吾々の自覚・意識の事実に於て、その直接な拠り処と出所とを」もっているとして、「無の論理」を「自覚的論理」であるとする。そして西田の論じる「矛盾」を、先に見た自覚あるいは意識に備わるノエシス面およびノエマ面という二つの側面との関連で論じる。「従来、矛盾は何かノエマ的に成り立つかのように仮定されていた」、つまり、矛盾は、先に見たように自覚あるいは意識の働きのノエマ的側面である存在あるいは対象の側に成り立つかのように仮定されてきた。しかしながら、「ノエマ的につかまれ得るものは単なる変化や対立や反対ではあっても、本当の矛盾ではあり得ない」、つまりここで矛盾とされている事態は、ノエマ的に限定されて成り立っているあるものと、同じように限定されて成り立っている他のものとが、変化、対立、反対等の関係にあるとして、言わば外的にとらえられるに過ぎない。そうではなくて、「矛盾はいつでも内部矛盾であるべき」である、つまり、ノエマ的に限定されて成り立つものは、そもそも限定された時点で矛盾を内的に含んでいるのであって、矛盾とはそもそも内的矛盾なのであり、そういったものとしての矛盾、言わば「本当の矛盾」とされるに値する矛盾とは「ノエシスの側に於てしか成り立たない筈」なのである。だから「本当の矛盾」を言わば原動力として展開するはずの「本当の弁証法」は、「有が直ちに無に裏づけられている、生即死、死即生という点にしか考え得られない」ということになる。そしてさらに、矛盾は無が自覚において限定されることによって成り立つのだから、「無の論理によってしか弁証法は考えられない」、ということにもなり、また、弁証法はそのように自覚において成り立つ矛盾を原動力として展開するのであるから、「弁証法は自覚に依ってしか考えられない」ということになる。

 西田の議論をおおよそこのように把握したうえで、戸坂は言う、「ここでいう弁証法・自覚の弁証法なるものは、要するに弁証法の自覚でしかない」、これが戸坂による西田批判の骨子である。西田のように、そしてまた戸坂自身もそうであるように、弁証法を「存在の根本法則」と考えようとするならば「存在と存在の意識とをあくまで区別する必要がある」、また従って「弁証法そのものと弁証法の意識(自覚)とを区別することがあくまでも必要なのである」、ところが「西田哲学で問題になるのは、弁証法の自覚・意識でしかなくて、弁証法それ自身ではない」のであり、西田の場合には「弁証法なるものは如何にして意識され得るか─考え得られるか─という弁証法の意味(それは無論意識・観念されたものである)だけが問題であって、弁証法それ自身は問題にならない」と、戸坂は言うのである。たしかに、西田の議論によって「弁証法というものの意味が成立する場所はなる程意識・自覚─それは要するに無によって裏づけられる─」ということは示されている、しかしだからと言って、「弁証法そのものの成立する場所が意識や自覚だということにはならない」と、戸坂は言うのである(傍点は中畑による)。

 先にも述べたように、戸坂のこのような批判は「唯物弁証法的論理こそ本当に唯一の存在の論理であり、従って又本当の論理なのである」とする戸坂の立場からなされたものなのであって、戸坂の思想において、弁証法とはあくまでも実在的な世界、さらに言ってしまえば、我々がその中で生きていて現に頑として成り立っている客観的な現実のあり方を決める確固たる法則でなければならないのであって、意識だの自覚だのといったたんなる観念的なものの中でのみ成立するにすぎないものであってはならないのである。

 さて今回、戸坂の西田哲学論について論じ始める際に、私は戸坂による西田哲学を評する言葉、「西田哲学の方法は……弁証法を説明する処の或る他の一つの方法でしかない」だとか、無の論理が「存在そのものを考えることは出来ない」だとか「ただ存在の『論理的意義』だけをしか考え得ない」といった言葉を挙げた。このことにかんして、ここで簡単に論じておこう。まず、「西田哲学の方法は……弁証法を説明する処の或る他の一つの方法でしかない」という批判について、これは西田に言わせれば、我々が世界を把握する際にそれが弁証法的な把握でしかあり得ないとすれば、それはそもそもどのように成り立っているのかが説明されなければならないのである、ということになろう。また、無の論理が「存在そのものを考えることは出来ない」だとか「ただ存在の『論理的意義』だけをしか考え得ない」とった批判についても、西田に言わせれば、存在そのものについて考え始める時、我々はすでに論理の中にいるのであって、存在そのものについて考えるということがいかにして成り立っているのかということを、あるいは論理というものがいかにして成り立っているのかということを、我々は理解しなければならないのである、ということになろう。くり返しになるようだが、戸坂はあくまでも西田を批判するためにこのように論じているのである。だがむしろ、戸坂が批判した点においてこそ、西田の哲学を積極的に評価できないだろうか、つまり戸坂の言う、存在の論理的意義だとか弁証法の意味だとか意義だとかいうものの指摘を、西田による発見として積極的に評価することはできないだろうか。そのようにとらえるために、戸坂が存在の論理的意義だとか弁証法の意味だとか意義だとかいうものについてどのように論じているのか、詳しく見てみたいと思う……次回以降に。