2017年11月22日水曜日

「人間とは何か」という問い、について。

ずいぶん前に、ある大学の授業紹介パンフレット用に、こんな文章を書いたことがある(実際に掲載された文章はこれに訂正を加えてちょっとマイルド(?)にしたものであったが……)。次回、第二十九回竹林茶話会のテーマ「人間らしさ……」にも関連する文章だと想うので、ご参考までに掲載しておく。
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「人間とは何か?」、この講義では諸君とともにこの問いについて考える。諸君の中には、このような問いを聞くと何やらムズ痒くなってきたり、胡散臭そうなイメージ(最近では「厨二病」的、とでも言うのだろうか)を抱いたりする人が多いのではないだろうか。
 ところで、諸君の小、中、高校時代のクラスメイトに、こんな女の子はいなかっただろうか。成績優秀、スポーツ万能、容姿端麗、おまけにピアノが上手に弾けたりして、もちろん男の子にもモテモテで、全く文句の付け所がない、そんな女の子。この女の子を「白鳥麗子さん」としよう。そしてまた、麗子さんとは全く逆のタイプの女の子もいたのではないだろうか。この女の子を「山田花子さん」としよう。成績は常に最下位、生まれながらの運動音痴、容姿は……残念。ありとあらゆる点で、花子さんは麗子さんに敵わない。だが花子さんは諦めない。なんとかして自分が麗子さんよりも優れている点を見つけようとする。そしてやがて、花子さんはこんな風に考えるようになる、「麗子はカワイくて勉強も出来て、男どもにチヤホヤされてるけど、腹の中じゃ何考えてるんだかわかりゃしないわ。そう、人間的には、私の方が上なのよ!」。「人間として」優れていること、これこそが、花子さんが自分を愛し、自分に自信を持って生きてゆくための、最後の拠り所なのである。
さて、仮に花子さんにこんな風に質問してみたとしよう、「わかったよ花子、人間としてはお前の方が優れてるんだな?でもな花子、お前の言う人間って、一体何なんだい?」。花子さんはきちんと答えられるだろうか。もし答えられないならば、花子さんの最後の拠り所は、もろくも崩れ去ってしまうのである。
諸君も気づいているかもしれないが、実は我々の誰もが、多かれ少なかれ花子さんなのである。そして麗子さんも実は花子さんなのかもしれないし、かく言う私も花子さんなのである。だからこそ、「人間とは何か」という問いは、単に気恥しい問いなのではなく、実は我々にとって非常に切実な問いなのである。いや、非常に切実な問いだからこそ、我々は普段、この問いを避けているのかもしれない。だが勇気を出して、この問いについて、きちんと考えてみよう。
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「人間とは何か」という問いについて考えることと、「人間らしさ」について考えることとは、同じことのようであって違う、かもしれない、あるいは、違うことのようであって同じ、かもしれない……さてさて、次回竹林茶話会、そんなところにも話は及ぶかもしれません。
乞う御期待!
なお、今回掲載した文章に登場する人物名は実在の人物とは一切関係がありません、ありませんよ!……一応念のため(笑)。