2016年10月11日火曜日

「第十五回 竹林茶話会 哲学cafe@柏bamboo」開催後記


「第十五回 竹林茶話会 哲学cafe@柏bamboo」開催後記


 
108日、「第十五回 竹林茶話会 哲学cafe@柏bamboo」が開催されました。

テーマは「どんな『欲』がありますか?」

参加者はマスターと私を含めて12名。今回は常連の参加者の方々が多く(そしてそれ以外の方々も、ほぼ常連確定 笑)、お互いに気心が知れているがゆえの、楽しくも真剣な対話となりました。

応援していただいた皆さま、ご参加いただいた皆さま、心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。


今回の対話は、「間違った欲」あるいは「望ましくない欲」といった話題から始まり、そもそも人はなぜ欲を抱くのか、それも、時としてバカバカしいとしか思えないような欲を抱くのか、といった方向に対話が展開しました。たとえば……

・平和な状態と戦争の状態では、抱かれる欲が違うのではないか。

・バカバカしいとしか思えないような欲を人が抱くのは、「生きてゆける」ことが保障されている状況において、ではないのか。

・人が欲を抱く原因を、本能やDNA(が生き残るため)といった次元には求めない方が良いのではないか。

といった論点について盛り上がりました(途中、中畑が、学問としての哲学における「欲求」と「欲望」の違いについて、説明させていただきましたが……対話の盛り上がりにはほとんど影響せず、むしろ参加者の皆さまを混乱させてしまったようです、ごめんなさいごめんなさい)。


さらに後半においては話題のスケールが広がり、個人を超えたものと「欲」との関係について、たとえば正しいとされる世の中のあり方を誰が「欲している」のかといったことについて、さらには、私たちはどのようなあり方の世の中を「欲するべき」なのかといったことについて、対話は展開してゆきました(これ、実は中畑の最近の関心と関連する話題でありまして……もしかしたら、意図せずに対話を誘導してしまったかもしれません。対話終了後、「今回は難しかった」という声も聞かれましたが……だとすれば、それは中畑のせいかもしれません、ごめんなさいごめんなさい)。

そして、「欲するべき」ということと関連して、「人を外に向かわせる欲」と「人を内に閉じ込めさせる欲」との対比という観点から欲について、そして人は欲にどのように向き合うべきなのかといったことについて対話が盛り上がったところで時間となりました。


ところで冒頭でもお伝えしたように、今回は常連の参加者の方々が多く、それゆえの「良いところ」がたくさんありました。が、しかし……それゆえの「良くないところ」も、残念ながら、あったわけでして……(笑)。

ということで(?)次回、1110日に開催予定の第十六回「竹林茶話会 哲学cafe@柏bamboo」では、そういった「良くないところ」を手がかりとして、中畑、いつもとはちょっと違った対話の場にしようと悪だくみを……ではなくて、いろいろと思案をしております(笑)。

テーマは……

「言いたいこと、言えてますか?」

さてさて、「いつもとはちょっと違った対話」とは、いったい、どのような対話なのでしょうか!?乞う御期待!!(笑)

 

今回はご紹介した本です。今回は二冊でした!(笑)

いずれの作品もご紹介した版の他にもいくつかの翻訳版が出版されていますので、ご自分にとって読みやすい翻訳版を選んでお読みになっても良いかもしれません。
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T・ウィリアムズ『欲望という名の電車』(小田島雄志訳、新潮文庫、1988年)
http://amzn.to/2enWRKc
 
F・S・フィツジェラルド『グレート・ギャツビー』 (野崎孝訳、新潮文庫、1989年)

 
そしてさらに(笑)、今回、対話の後半開始時に紹介した落語「天狗裁き」については、以前当ブログに掲載した以下の文章をお読みいただければ幸いです。