2016年9月13日火曜日

「第十四回 竹林茶話会 哲学cafe@柏bamboo」開催後記


「第十四回 竹林茶話会 哲学cafe@柏bamboo」開催後記


910日、「第十四回 竹林茶話会 哲学cafe@柏bamboo」が開催されました。

テーマは「『死』は怖いですか?」

参加者はマスターと私を含めて19名。お久しぶりの方々、そして今回も初めて参加してくださった方々がおられました。お久しぶりの方々からはいかにも「その人らしい」(笑)興味深いお話を聴くことができ、また、初めて参加してくださった方々がこれからの竹林茶話会を盛り上げていってくれそうな予感もあり、とれも賑やかな、そして、楽しい集いとなりました。主催者として、こんなに嬉しいことはありません。応援していただいた皆さま、ご参加いただいた皆さま、心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。

 
さて、今回の対話は、「死は怖いのか、怖くないのか」といった話題から始まり、自分の死と他の人の死はどう違うのか、死に至るまでのプロセスと死そのものとの違い、といった方向に展開してゆきました。また、「たとえ」として用いられる死という表現、さらには、他の人たちとの関係における死、といったことについても、話題になりました。そして、このような対話の流れの中、たびたび、「死とは、結局、分からないものなのではないか」という難題に突き当たりました。

 
ところで、今回は特別に、竹林茶話会の三つの基本ルールの一つである「人それぞれは禁止」という禁止事項を、「解禁」いたしました。これについては、当日に私の考えを簡単にまとめたものを参加者の皆さんにお配りしました。以下、抜粋いたします。

 
人は、いつか、誰でも、死にます(多分)。だから人は死については、誰もが平等です。死については誰もが平等なのですから、死について語る言葉も平等である、つまり、たとえば、死にまつわる体験(身近な人が亡くなった、あるいは、自分自身が死にそうになった、など)があるかないかで、死について語る言葉が、良いとか悪いとか、正しいとか間違っているとか、優れているとか劣っているとか、そういったことは言えないのではないか……と私は考えるからです。

 
このような書き方をするのは、なにやら「後出しジャンケン」のようで気が引けるのですが(笑)、今回私がこのように考えたのは、実はあらかじめ、対話が「死とは、結局は、分からないものなのではないか」という結論へと向かってゆくのではないかと、予想していたからです。では、死について考えることには、死について語ることには、なんの意味もない、ということになってしまうのでしょうか……。いや、そうではありません。考えてもよくわからないこと、語ろうとしてもうまく語れないこと、いわば「知の限界」といったものに直面しても、そういったことについて、あえて考えること、また、あえて語ろうとすることこそが、哲学の課題だからです(学問としての哲学に興味のある方々のために少しだけ補足しておきますと、たとえばカントやウィトゲンシュタインはこのような「知の限界」を問題にしたわけですが、人間はそういった「限界」の内側にとどまらなければならない、とったことが彼らの思索の主眼であったわけでは、決してありません。彼らにとってのもっと大きな問題は、そういった「限界」を越えてゆこうとせざるを得ない人間というもののあり方、だったのです)。

 
さて、死について、あえて考え、あえて語ってゆくとして、その先で問題になるのは、考え方であり語り方、です。私たちは、つまり、誰もがいつかは必ず死の「当事者」となり、死を前にして誰もが平等である、そのような私たちは、どのように死について考え、また、どのように死について語ったらよいのか……。さしあたって、自分自身の考え方が誰にでも当てはまるわけではないということ心に留めておくこと、そして、誰か他の人の考え方を容易に自分の考え方としてしまわないように注意すること、当たり前のことのようではありますが、私はそういった態度が必要なのではないかと想います。そしてこのような態度を維持することは、このように言葉で表現されるほど、簡単ではないのかもしれません。だからこそ、時間をかけて、対話を重ねることを通じて、「相手の中の尊重しなければならない部分」を、そして「自分の中の変えられない部分」を、発見してゆかなければならないのであり、そういったことそのものは、哲学という営みにおける「人それぞれ」であってはならない側面なのではないか……このようにまとめてしまっては、ちょっと格好をつけすぎでしょうか(笑)。

 
まぁまぁ、なによりも、「よく分らないことについて考えたって話したって、なんの役にも立たないじゃないか、だから、そういうことについては考えたり話したりしても無駄だよ」といった発想をする人たちが大多数を占めるような、そんなつまらない世の中になってゆくことに抵抗するためにも(笑)、みなさん、これからもご一緒に、哲学を、しましょう。

 
さて、「竹林茶話会 哲学cafe@柏bamboo」、次回第十五回は、108日を予定しております。

テーマは「どんな『欲』がありますか?」です。

次回もたくさんの方々のご参加を、お待ちしております!

 


今回は、参加者の皆さん一人ひとりが、自分なりに死について考えてゆくための、いわばガイドとして、この本をオススメいたしました。(Amazonアソシエイト(アフィリエイト))

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