「第一回 竹林茶話会 哲学cafe@柏bamboo」開催後記
もう一ヶ月も前になってしまいましたが、8月8日、「第一回 竹林茶話会 哲学cafe@柏bamboo」、20人以上もの方々にご参加いただき、大盛況のうちに終了いたしました。ご参加いただいたみなさん、応援していただいたみなさん、心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。
さて、第二回開催が一週間後となりました。で、以前から、毎回竹林茶話会終了後に「後記」的なものをアップしたいと思っていたのですが……ごめんなさい、諸般の事情により、なかなか書けませんでした。このままだと第一回と第二回の後記を「ダブル・アップ!」などということになりかねませんから、今日こそはがんばって書きます。
今回は記念すべき第一回目についての後記ということで(?)ちょっと長いですし、ちょっとむずかしい部分もあるかもしれません。ですから、全部をお読みいただく必要はないかもしれません(もちろん、全部お読みいただけたら涙が出るほどうれしいですが 笑)。ただ、「興味はあるけれど、参加しようかどうか迷っている」という方は、最後の「3 参加の仕方について」を、ぜひともお読みください。
1 テーマについて
第一回のテーマは「自分探し」でした。で、どのような対話がなされたかというと……これにかんしては、「主催者」である私が「まとめ」のようなものを書くというのは、なんだか傲慢なような気もするので、やめておきます。参加して下さった方々が「え!?そんな話だっけ!?」と想ってしまわれるようなことになったら、なんかだか悲しいですからね。どんな対話が行われたのか、それは、参加して下さった方々が「それぞれの仕方で」知っている、ということにしておきましょう(あ、これは別に、「人それぞれ」ということとは違います。念のため。)
ただ、私は一応、哲学の専門家ですので(え!?ご存知なかった!?では、柏が誇るシンガー・ソング・ライターの「浅川貴志さん」のインターネットラジオ番組「Funky Net Radio」をyoutubeで検索、Vol.14とVol.15をお聴きいただいて……笑)、そのような観点から今回のテーマについて一言。「私は自分自身を探究した」(ヘラクレイトス)、「汝自身を知れ」(ソクラテスの座右の銘)、などなど、古代以来、哲学の歴史の中で「自分」とか「私」というものはたしかに大きなテーマでありつづけてきました。たとえば、哲学の一分野に「認識論」というものがありまして、これはつまり「私は世界をどういうふうに見たり聞いたりしているのだろうか」というかたちで、「自分」だとか「私」というものをテーマにしているわけです。はたまた、「形而上学(けいじじょうがく)」とか「存在論」と呼ばれる分野もありまして(厳密に言えば両者は別物なんですけどね)、これは神さまだとかなんだとか、そういった人間の世界を「超越」したものと「自分」や「私」との関係を考える分野でして、そういう意味ではやはり、「自分」や「私」というものがテーマになっていると言えるわけです。
ただ、ちょっと問題があります。
今ここに挙げたような哲学の分野でテーマにされる「自分」や「私」って、他ならぬ「この私」や「この自分」なんでしょうか?別の言い方をすると、こういう分野で「私」や「自分」について考えられる時、そこで考えられている「私」や「自分」というのは、はたしてどれだけ、まさにそれを考えている「この私」や「この自分」と同じものなのでしょうか。考えてみれば、どの人間も自分のことを「私」とか「自分」と呼べてしまうわけですよね、ということはそこで「私」とか「自分」と呼ばれているものは、「この私」でも「あの私」でもない、「この自分」でも「あの自分」でもない、ということだってあり得る、いや、完全に違うということはないにしても、でも、完全に重なることはない、のではないでしょうか。
さて、ここで哲学用語が登場です。二つ。「普遍的な『自分』とか『私』」、それから、「個別的な『自分』や『私』」、というものです。「全ての人間が自分のことをそう呼べてしまえる『自分』とか『私』」というものを「普遍的な『自分』とか『私』」、「『この私』や『あの私』、『この自分』や『あの自分』、つまり『他の誰でもない自分や私』」というものを「個別的な『自分』や『私』」としましょう。上に書いたことをこの用語を使って言い直すと、哲学が問題にするのは「普遍的な『自分』や『私』」であって「個別的な『自分』や『私』」ではない、あるいはそれが言い過ぎだとしても、哲学において「個別的な『自分』や『私』」を問題にすることは難しい、ということは言えそうです。
では、「普遍的な『自分』とか『私』」ではなく「個別的な『自分』や『私』」を問題にする、あるいはそれに近づくためには、一体、どんな方法があるのでしょうか、あるいは、どんな語り方があるのでしょうか。
こういった問題も、じつはまた、「哲学的な問題」なわけです。
で、このことにかんしてちょっとだけ前回の対話の内容について言ってしまいますと……対話のところどころで、私たちはこの「個別的な『自分』や『私』」に近づけた、あるいはそれについて語ることができた、私はそう想っています。また、対話の余韻の中で、竹林茶話会に参加して下さった皆さま中には、たとえ「なんとなく」ではあっても、その後のふだんの生活のなかで「個別的な『自分』や『私』」、「ほかでもないこの私」に近づけた、あるいはそれについて考えることができた方がいらっしゃるかもしれない、そんな感じの対話が出来たのではないかと想っております。
2 主催者の態度について
実は第一回開催に先立って、私、結構勉強したんですよ(苦笑)。それはおもに、世の中で「自分探し」がテーマとされる時、何が問題とされていてどんな風に語られているのか、そういったことを把握しておこうという目的で。そしてそして、結果として、それはもう、「自分探し」をテーマにして何か書けるんじゃなかってほど、準備したんですよ、私(笑)。
でも、主催者がこういう準備をするのって、はたして正しいのかなぁという疑問が残りました。まぁ、準備したことが、ほとんどあるいはまったく対話に反映されなかったとしても、私としては勉強になったのですから問題はないわけですが(それに竹林茶話会は主催者である私の授業でも講演でもないわけですからね。こういうスタンスだけは変更しません)。問題は、主催者である私の準備が、言ってみれば「誘導尋問」のように対話の方向を決めてしまうということもあるのではないかと、そういうことです。たとえば「自分探し」について、私が事前の準備の中で(たとえば、たとえば、ですよ)「最近の『自分探し』というものはいわゆる『自己啓発』と同じような発想で行われているらしい」という情報を得たとします。そうすると、私自身としては意識してそうするつもりではなくても、どうしても「『自分探し』と『自己啓発』について」といった方向に、話を「傾けて」しまうことになるのではないか、そういう心配があるわけです。第一回目開催に先立って哲学cafeについて説明するために文章を書いたり話をさせていただいたりした中で、私は何度も「主役は参加者の皆さんであって私は脇役にすぎない」といったことを何度も申し上げてきました。主催者である私が対話の方向を決定してはいけないのです。対話の中で自然に方向が決まってゆく、そんな竹林茶話会を実現してゆくために、少しずつ試行錯誤を続けてゆきたい、いや、続けてゆかなければならないと、そんな風に想っている次第です。で、ためしに、次回はほとんど事前準備なしでいってみようかなんて考えたりもしています……さてさて、吉と出ますか凶と出ますか。
3 参加の仕方について
哲学cafeは「対話」を行う場です。対話が行われるためには、「発言」がされる必要があります。というわけで、第一回目の開催に先立っていろいろな機会に宣伝をさせていただいた際、「みなさんの積極的な発言を期待しております!」といったことを申し上げてきましたが……ごめんなさい、「撤回します!」、ごめんなさい。実際に自分ではじめて哲学cafeを開催してみて実感したことは、参加者のみなさんのそれぞれが、それぞれの仕方で、何かを得ようとしている、そういうことでした。一方で積極的に発言をして下さる方もいました、もちろんありがたいです、本当にありがとうございました。ですが他方で、最初から最後まで一言も発することなく、それでも真面目にメモをとったり(私の話を、ではありません、参加者のみなさんの発言を、です!)、発言されたことに対して「うんうん!」といった感じでうなずいたり、「う~ん?」という感じで首をかしげたり、そういったかたちで、とっても積極的にそして熱心に「参加」してくださった方々もいらっしゃいました。そして私はそういう仕方もまたれっきとした「参加」の仕方であるということをはっきりと「実感」させていただいたわけでして、それはとってもありがたいことでした。私もまた、主催者として、一つ大事なことを学ばせていただいたと想っております。本当に本当に、ありがとうございました。
ですから、宣伝文句を
「みなさんの積極的な発言を期待しております!」
から
「参加者のみなさんがそれぞれの仕方で哲学的対話を楽しんで下さることを期待しております!」
に、変更させていただきます。ですから次回以降は「なんだか興味はあるけど、自分で発言するのはちょっと……」という方々も、どうぞぜひぜひ、お気軽にご参加ください!
あ、でもでも、「ちょっと喧嘩ふっかけてどいつもこいつも言い負かしてやろう」だとか「なんかカッコイイこと言ってヒーローになってやろう」だとか、そういう動機にもとづいてのご参加はちょっとご遠慮を……まぁまぁ、楽しいのかもしれませんけどね、そういうのも(苦笑)。あ~それからそれから、やっぱり「特定の政治的・宗教的立場とは無関係」ですので、その辺はよろしくご承知置き下さい(笑)。
今週の土曜日に迫った第二回、テーマは「ペット」です。さてさて、どんな対話になるのでしょうか……楽しみです!