2015年8月18日火曜日

ボツ原稿にも愛を 1

 ごめんなさいごめんなさい、忙しすぎて全く更新できません。もちろん、新規の文章を書く余裕なんかありません(まぁでも、決して不快な忙しさ、ではないんですけどね)。
 ですがやはり、今年度に入ってからかなりの高頻度で更新してきたのに、ここで大幅に間が空いてしまうのは誠に誠に悔しいです。そこで今後、こんな時には我がPCに眠っている数多のボツ原稿に日の目を見させてあげることにいたします。

 で、記念すべき第一回目。これがなぜボツになったのか……分かりやすい文章を書こうと心がけたものなんですけどね、やっぱり、「です。ます。」調で書いたからと言って、ただそれだけで難しい内容が分かりやすくなるわけではない、ということでしょうか。

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反知性主義への「エッセイ」

 最近よく、「反知性主義」という言葉を見聞きしますね。そこでこれから、反知性だとか知性だとかということについて、少し考えてみましょう。ですが反知性主義というものが一般的にどういうものだとされているのか、さしあたって、あえてここでは問わないでおきます。ただ、「反─知性」という以上は、単純に考えても、それは知性を働かせることを拒む態度である、ということは言えるでしょう。ところで「知性を働かせる」と言えば、たとえば哲学という営みはまさに知性を働かせることそのものです。というのは、ギリシャ語で哲学を意味するフィロソフィア(philosophia)という言葉は、「愛」を意味するフィリア(philia)という言葉と「知」を意味するソフィア(sophia)という言葉から成り立っていて、「哲学する」ことはそもそもは「知を愛する」とか「知を愛し求める」といった知性的な営みを意味するからです。西洋哲学の創始者の一人であるソクラテスはこう言いました、「大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、良く生きるということだ」(プラトン『クリトン』)。つまり、なぜ人間が知を愛し求めなければならないのか、あるいは知性を働かせなければならないのかというと、それは良く生きるためである、ということです。ですから、知性を働かせることを拒むことは、良く生きることを放棄することでもある、ということになりますね。

 さて、話を日本に移します。日本を代表する哲学者と言えば、何と言っても西田幾多郎でしょう。西田は、東西の様々な哲学・思想との対決の果てに、日本の独自の哲学を生み出したと言われており、日本の哲学の、言わば「教祖」とされています。しかし、次のように言い放った人物がおりました。

 
     西田幾多郎、なんだい、バカバカしい

 
坂口安吾の「不良少年とキリスト」の中の言葉です。「哲学者、笑わせるな。哲学。なにが、哲学だい。なんでもありゃしないじゃないか」。安吾は西田の、そして哲学者や哲学の、一体何が気に食わなかったのでしょうか。安吾は「教祖の文学」の中で、哲学について次のように言っています。

 

人間はせつないものだ、然し、ともかく生きようとする(中略)体当り、遁走、まったく悪戦苦闘である。こんなにして、なぜ生きるんだ。文学とか哲学とか宗教とか、諸々の思想というものがそこから生れて育ってきたのだ。それはすべて生きるためのものなのだ。(「教祖の文学」)

 

ソクラテスと同じように、安吾も哲学が、さらには文学や宗教といった思想というものが、生きることとかかわるものであると考えていたのですね。安吾が「哲学者、笑わせるな」などと言って批判したのは、どうやらこういったところをめぐってのことのようです。「不良少年とキリスト」の中で、安吾は哲学者の思索を「瞑想」にすぎないと言って批判していますが、より良く生きるために知性を働かせることは、安吾に言わせれば「体当り、遁走、まったく悪戦苦闘」なのであって、「瞑想」というよりはむしろ「迷走」とした方がふさわしいようです。

安吾はまた、思想というものを「個人が、ともかく、自分の一生を大切に、より良く生きようとして、工夫をこらし、必死にあみだした策」であるとも言っています。そして、そう言った後に「それだから、又、人間、死んでしまえば、それまでさ、アクセクするな、と言ってしまえば、それまでだ」と続けています。つまり、死という誰もが避けることの出来ない事実に思い至った時、より良く生きるためにアクセクするなんて無意味だという考え方もあるということを、安吾はとりあえず認めているのです。その上で、こういった考え方に対して、安吾はこう言います。

 
   私は生きているのだぜ。さっきも言う通り、人生五十年、タカが知れてらア、そう
    言うのが、あんまり易しいから、そう言いたくないと言ってるじゃないか。幼稚で
   も、青くさくても、泥くさくても、なんとか生きているアカシを立てようと心がけ
   ているのだ。(「不良少年とキリスト」)

 

アクセクすることに意味がないとする考え方に対して、「そう言うのが、あんまり易しいから、そう言いたくないと言ってるじゃないか」と、安吾はただそう言っているだけです。これはとても知性的な反論などとは言えない、一つの決意の表明にすぎません。つまり、より良く生きてゆこうと決めたからには、人はその決意を動機として知性的にアクセクするしかない、どうやら安吾はそう言っているようです。さらに言えば、「私は生きているのだぜ」と言われていることから、知性的にアクセクすることを人はあくまでも「私」がより良く生きてゆくための、他ならぬ自分自身がより良く生きてゆくための務めとして引き受けなければならないのであって、したがってそれは同時に「私が私であり続ける」ことでもある、そう言っているようにも思われます。ところで西田は、哲学の動機は「人生の悲哀」でなければならないと言っています。「人生の悲哀」という言葉は、安吾の「人間はせつないものだ」という言葉を連想させますね。今でこそ日本の哲学の教祖とされる西田ですが、その生涯は不幸の連続であり、だからこそ西田もまた、より良く生きることに無関心ではいられなかったはずです。また、思想家の林達夫は、西田の哲学を「エッセイ」であると言っています(「思想の文学的形態」)。「エッセイ」、つまりフランス語のessaiは、「随筆」と訳されることが多いですが、もともとは「試み」という意味です。ですから西田の哲学は、西田自身による、より良く生きてゆくための「試み」の記録であるとも言えるでしょう。さらには、西田の思索は決して安吾の言うように「瞑想」などではなく、むしろ「悪戦苦闘」であり「迷走」であったと言えるのかもしれません。では、安吾は西田の、一体何が気に食わなかったのでしょうか。

安吾の「不良少年とキリスト」が発表されたのは一九四八年(昭和二三年)年、西田が亡くなってから三年後のことでした。その頃にはもうすでに、西田は日本の哲学の教祖とみなされていました。おそらく、安吾が気に食わなかったのは、西田や西田の哲学ではなくて、むしろ西田を教祖としてしまう人々だったのではないでしょうか。そのような、言わば信者的な人々を批判するために、安吾はあえて「西田幾多郎、なんだい、バカバカしい」と言った、私にはそう思われます。教祖の教えがどんなに素晴らしいものであっても、信者としてその教えに無批判的に追従するようになってしまえば、人は自発的に悪戦苦闘することを、知性を働かせることを、放棄することになるのであって、他ならぬ自分自身がより良く生きてゆくための務めを放棄することになるのです。そしてそれは同時に、教祖という「私」ではない誰かに「私」自身のより良い生き方を委ねることなのですから、「私が私であり続ける」ことをも放棄することでもあるのです。西田をはじめとした古今東西の大哲学者たちは容易に教祖的な存在にされてしまいます。実際に日本には、たとえば西田の哲学に対して率直な疑問や批判を表明すると、それを西田に対する冒瀆と受け取った信者的な西田研究者たちから猛反発を受けることが多々あります。ただ、一言付け加えておけば、安吾は人々が信者的になることをただ他人事として批判したわけではありません。「教祖の文学」で安吾はもっぱら小林秀雄の教祖的あり方を批判しているのですが、同時にまた、小林を教祖として崇めてしまいそうになる自分自身の弱さを戒めてもいるのです。

さて、私はこの文章の最初の方で「反知性主義というものが一般的にどういうものだとされているのか、さしあたって、あえてここでは問題にしません」と言いました。それは、「反知性主義とはこれこれこういうものである」という誰かの主張を無批判に前提として話を進めてしまっては、そのように主張する人物を教祖とすると同時に私自身を信者にしてしまうことになるからであって、それはまさに反知性主義的だからです。反知性主義に抗うためには知性的でなければなりません。知性的であることとは、一方ではこのように教祖的な人物の主張を無批判に受け入れることを注意深く避けることであり、他方ではより良く生きるための努力を続けることです。ですから、知性的であるためには二つの困難を引き受けなければなりません。つまり、一つは教祖的な人々や信者的な人々が主張することに対して批判的であることが招く反発に屈することなく抗い続けること、もう一つは、より良く生きてゆくためにアクセクすることに意味などないとする立場に抗い続けることです。いずれも容易なことではないでしょう。しかし、知性的であり続けようとすればこの二つの困難を引き受け続けるしかないのであり、また、この二つの困難を引き受けることが知性的であり続けるということなのです。つまり、知性的であろうとすれば、より良く生きてゆくことをあくまでも「私」の務めとして引き受け、悪戦苦闘し迷走しながらも、エッセイを、試みを、続けるしかないのです。そしてそれは同時に、「私が私であり続ける」ための試みでもあるのです。