2017年3月14日火曜日

「第二十回 竹林茶話会 哲学cafe@柏bamboo」開催後記

「第二十回 竹林茶話会 哲学cafe@柏bamboo」開催後記


 
311日、「第二十回 竹林茶話会 哲学cafe@柏bamboo」が開催されました。

テーマは「お話、そろそろやめていただけませんか?」

参加者はマスターと私を含めて17名。

今回も初参加の方がおられ、また、久々に参加していただいた方々もおられ、

比較的大人数での、大変楽しい、また、充実した対話となりました。

応援していただいた皆さま、ご参加いただいた皆さま、心よりお礼申し上げます。

ありがとうございました。

 
今回の対話は……

いやぁ~、濃かった、です!(笑)

あまりに濃かったので、対話の内容を詳細に紹介することはあえて避けたいと想います

……それに、「長い話」になってもなんですし(笑)

ですが、まったく内容に触れないのでは「開催後記」の意味がないので、少しだけ……。

 
まず対話の比較的早い段階で、話が時間的に長いからといって、その内容や、話し手と聞き手の関係などによっては、必ずしも長いとは感じられない、という参加者の共通認識が得られました。
そこからさらに……

・長いと感じられる話とはどのような内容の話なのか(逆に、時間的には長くても長いと感じられない話とはどのような話なのか)、

・話が長いと感じられてしまう話し手と聞き手との関係とはどのよなものなのか(逆に、話が長いと感じられない話し手と聞き手との関係とはどのよなものなのか)、

といったことについて、対話が展開しました。


また、話し手の側の事情にも話題はおよび、話が長くなってしまう人も、必ずしも悪意からそうなってしまうのではなく、むしろ、たとえば聞き手に対する親切心など、善意からそうなってしまう場合もある、ということが指摘されました。
しかしさらに、もしもそれが善意からなされるものであるとしても、その善意のさらに「向こう側」にあるものは、一体なんなのか……そこにあるのは、たとえば承認欲求であったり、さらには自己顕示欲など、善意とはほど遠いものなのかもしれない、といった問題にまで、対話は広がりました。

 
そうそう、もう一つだけ。

今回、「長い話」あるいは「話が長い人」についての対話であったにもかかわらず(いや、そのような対話であったからこそ?)、長い話のもたらす不快感などはまったく感じられない、気持ちの良い対話となったように想います。発言時間ということで言うならば、かならずしも短くはない発言もあったかと想うのですが……参加者の皆さんは、どのように感じられたでしょうか。


 
さて、次回、第二十一回「竹林茶話会 哲学cafe@柏bamboo」は、48日に開催予定です。

テーマは

「イイ人って、どんな人ですか?」

イイ人?良い人?善い人?

というわけで、次回の対話、今回話題に上った「善意の向こう側」ということについても、もしかしたら問題になるかもしれず、そういった意味では内容的に今回の対話と関連したものになるかもしれません。

もちろん、今回参加なさらなかった方のご参加も、大歓迎!
次回もたくさんの方々のご参加を、お待ちしております!

 
今回ご紹介した本ですAmazonアソシエイト(アフィリエイト))。

パスカル『パンセ』(前田陽一・由木康訳、中公文庫、1973年)