2019年1月23日水曜日

竹林茶話会 ~哲学Cafe@柏bamboo~ 第四十三回開催情報

竹林茶話会 ~哲学Cafe@柏bamboo~ 第四十三回開催情報

「竹林茶話会 ~哲学Cafe@柏bamboo~」の開催情報をこちらでお知らせします。

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(近日公開!)
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竹林茶話会 ~哲学Cafe@柏bamboo~ 
第四十三回 テーマ 「私、自分、セルフ……」
開催日時 201929日(土) 17:00頃〜(19:30頃までを予定)
開催場所 bar bamboo http://bar-bamboo.com/(地図等ご参照下さい)
主催者メールアドレス chikurinsawakai@yahoo.co.jp
料金 1000円(1drink付き)
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第四十三回「竹林茶話会 ~哲学Cafe@柏bamboo~」、今回のテーマは……

「私、自分、セルフ……」

です。

さて今回、このテーマとなったいきさつについては、前回の「開催後記」をご一読ください(https://achirakochirainochigake.blogspot.com/2019/01/cafebamboo.html)。

そうそう、そういえば、第一回目の竹林茶話会のテーマが、「自分探し」でした。今回のテーマ自体は、この「自分探し」と近いのかもしれませんが、ナカハタとしては対話がまったく違った方向へと展開することを期待しています。たとえば、「『自分』探し」を「『私』探し」と言いかえるとすると、今回は「私」を「探す」のではなく、私たちが「探す」までもないと想っている「私」とは、いったいどのようなものなのか、皆さんと一緒に考えてみたいと想います。あるいは、外的な探求ではなくて内的な探求を通じて……おっと、いけませんいけません、ここでややこしい話にしてしまっては、いけませんいけません(笑)。

今回も、たくさんの方々のご参加を、お待ちしております!


2019年1月19日土曜日

「第四十二回 竹林茶話会 哲学cafe@柏bamboo」開催後記

「第四十二回 竹林茶話会 哲学cafe@柏bamboo」開催後記

19日、「第四十二回 竹林茶話会 哲学cafe@柏bamboo」が開催されました。
テーマは「子ども、コドモ、子供……」
参加者はマスターと私を含めて13名。
今回も、初めてご参加いただいた方々、久しぶりにご参加いただいた方々がおられ、主催者・ファシリテーターの中畑としてはたいへん嬉しい集いとなりました。
応援していただいた皆さま、そして、ご参加いただいた皆さま、心よりお礼申し上げます。
ありがとうございました。

さて今回、参加者の皆さまにユニークな観点・発想などがいくつもご披露いただき、対話は大いに盛り上がりました。大いに盛り上がったのですが……。
一方で楽しく進む対話を追いかけながら、他方でナカハタ、正直に申し上げますと、哲学対話というものの難しさを、痛感しておりました。
いや、それは、「哲学対話」の難しさなのか、「哲学」の難しさなのか、「対話」の難しさなのか、実はナカハタには、それすらもよく分っておりません。いずれにせよ、ナカハタ、今回はこういう場の難しさ、さらに言ってしまえば、危うさを痛感いたしました。

なぜそのようなことになったのか、それはやはり、今回のテーマに大きな原因があったのだと想います。
誰もがかつては「子ども」であった。だから、誰もが「子ども」について、語ることが出来るはずである、と、このような考え方もあるでしょう。実際に今回、対話が終わった後に、私にこのように話してくださった参加者の方がいらっしゃいました。確かにその通りでしょう。ですが、ひとりひとりがかけがえのない子ども時代を過ごしてきたわけですから、「子ども」についての想い、「子ども」についての言葉もまた、やはり、ひとりひり、それぞれ異なるわけです。ところが、ひとりひとりが「人それぞれ」を披露しあっても、「対話」としては意味がない。しかしだからと言って、たとえば、なんらかの共通性を見出し、それが「子ども」についての想いや言葉の「正解」だとしてしまえば、その「正解」を受け入れられない人にとっては、その場での他の参加者の言葉は、下手をすると自分に対するいわゆる「人格攻撃」にしか聞こえない、といったことにもなりかねない、さらに言ってしまえば、「子ども」についての想いや言葉は「ひとりひとり異なる」わけですから、どの参加者にとっても多かれ少なかれ共通の「正解」との間に「ズレ」があるはずであって、したがってどの参加者も他の参加者の言葉を、やはり多かれ少なかれ自分に対する「人格攻撃」だと受け取ってしまう、ということにもなりかねないわけです。
そして、もう一つの大きな問題。たしかに、誰もがかつては「子ども」であった。しかし、人は自分自身について(この場合には「子ども」=「かつての」自分)どのように把握し、語ることが出来るのでしょうか?あるいは、自分について、正しく把握し語ることなど、そもそも出来るのでしょうか?今回、参加者の中には「自分はどちらかといえば子どもだ」、さらには「自分はまだ子どもだ」とおっしゃっていた方々いらっしゃいましたが、その場合にはなおのこと、人はどうやって、いま現に存在する自分自身について、いいかえれば、いま現に存在する自分自身を「対象」として(つまり、「机」や「イス」や「テーブル」や「犬」や「猫」や「他の人」と同じように、つまり「自分ではないもの」として)把握し、語ることが出来るのでしょうか、あるいはそもそも、正しく把握し、語ることなど出来るのでしょうか?もっと言ってしまいましょう、自分について(自分を対象として)考え語る、もう一人の自分、それって、本当に「自分」なのでしょうか?あるいは、いったい「何もの」なのでしょうか?
ちなみにこれは、哲学の世界では「自我論」と呼ばれる大問題なのですが、それは置いておくとして、今回の対話では、テーマによっては対話が想いもよらない方向に発展してしまう、しかもやっかいで危険な方向に発展してしまうということを、ナカハタ、痛感した次第であります。そして蛇足ながらつけ加えますと、昨今の「子ども」をめぐる問題(そのような問題が実際にあるとして 笑)をややこしくしている、いや、出口の見えない袋小路に追い詰められているようにも想われるのは、もしかしたらその根っこにこのような哲学的な大問題が潜んでいるからなのかもしれません……おっと、これ以上は、ナカハタが自分で考えるべき哲学的問題なので、この辺で(笑)。

さて次回、「第四十三回 竹林茶話会 哲学cafe@柏bamboo」は、いつもの第二土曜日、29日」に開催いたします。開始時間はいつもと同じ夕方5時ごろから、場所はもちろん、柏のbambooです!
テーマは……
「私、自分、セルフ……」。
……。
……。
……たった今、「これ以上は、ナカハタが自分で考えるべき哲学的問題」であると書いておきながら……はい、ある意味で、前回の続きです(笑)。
皆さまのお話を、ぜひぜひお聞かせください!

                  (by the master of the bar bamboo