2015年1月13日火曜日

「俺の立場は!?」1

 さてさて、気が付いたら年が明けてました。みなさんお元気ですか?
 私はといえば……前回当ブログに文章をアップしたのが、去年の9月、ということはほぼ四カ月の御無沙汰ですね。ダメな俺ダメな俺ダメな俺……。が、しかし、めったにない年のはじめですから、人並みに今年の抱負などをつづったものをアップさせていただきます。もっとも、抱負と言っても、「今年こそ就職するぞ!」とか「今年こそ結婚するぞ!」とか「今年こそロン毛にするぞ!」とかといった具体的な話ではなく(三番目にいたっては抱負ではなくて願望、いや妄想だ)、やっぱり私らしく、とっても抽象的な話です。ひとことで言えば、「自分の立ち位置を誤らないぞ、しかも命がけで」ということ。

 さて、1991年と、ちょっと古い話で恐縮なのだが、ロバート・B・ライシュというアメリカの経済学者が『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ』という本の中で労働人口内の二極化を予言していた(労働者と資本家の二極化ではない)。すなわち、労働者は従来の「対人サービス業者」だの「ルーティン肉体労働者」だのといった労働者人口の大部分を占める階層と、ライシュが「シンボリック・アナリスト」と呼ぶ少数の階層に分かれるというのである。このシンボリック・アナリストとは、日本語にすれば「象徴分析者」ということになるであろうが、要するにサービス業だの肉体労働だのとは逆に、知的な労働に携わる人々のことであって、いわゆるジャーナリストだの大学教員だのといった「知識人」というのもこの層に入るであろう。たしかライシュの議論は、ここに情報の占有だの知的所有権だのといった要素が絡んできて、まさにその点に21世紀への予言としての意味がある。だがしかし、「一部の知識人と一般大衆である大多数の労働者」という枠組み自体は、別に新しいものでもなんでもない(我ながら乱暴なまとめ方だと思うが、こうしないと話が進まないので……ライシュのファンの方々、ごめんなさい)。だがまた他方で、たとえば昨年日本で話題になった「G大学・L大学」の主張(日本の大学をごく一部の「グローバル大学」、略してG大学とその他大多数の「ローカル大学」、略してL大学とに分け、従来のような高等教育は前者のみで行い、後者は実質的に職業訓練校にしてしまうべきだとする主張)などは、主張した人間の意図はともかく、結果としてこの枠組みを強化し固定化するものであろうから、ライシュの予言は日本でも当たりつつあると言えるかもしれない。
 で、誰だったかは思い出せないが、ライシュの話を下敷きにしていわゆるリベラルとコミュニタリアンの対立について論じた人がいて、私はその話を読んで「なるほどな~」と思ったものである。すなわち、知識人というものは、とかく「個人の自由」というものを尊重し、そこから出発して、たとえば自由な個人の連帯としての国境なき世界だの弱者の救済だのといった、いわば進歩的理念を説きたがるものである。逆に一般大衆というものは、時代や状況によって程度の差はあれ、基本的に知識人というものを信用しておらず、さらに言えば知識人の言うことを嘘くさいと思っているものである。そういう反発が基となって、知識人の理念とは逆に、何らかの共同体の伝統だとか慣習だとか宗教だとかに回帰したがる傾向が彼らにはある。簡単にまとめればこのような議論である。この議論、たとえば日本においては、朝日の慰安婦報道と関係者へのバッシングをめぐって話題になった「右傾化」の問題などを考えると、なかなか説得力があるように思う(ちなみにこの問題については、私としても大いに言いたいことがあるのだが、話が大きくなりすぎるのでまたの機会に)。だが他方で、いわゆる「ネトウヨ」によるジャーナリストや政治家への批判を眺めていれば分るように、情報が氾濫する中で「偉そうに小難しい話をしている連中だって所詮は人の子であって、ようするに胃袋や下半身の事情に正直に生きているにすぎない」ということが堂々と主張されるようになり(本当は誰もが内心ではそう思っていたにしても、たんにそれが内心で思われている状況と、堂々と主張される状況とでは大違いである)、知識人が従来のような社会的地位を保つこと自体が難しくなってきている。
 おっと……こんなことを書いてきたからといって、ここで私は別に日本国民の右傾化を懸念しているのでもなければ、知識人の社会的地位を心配しているわけでもない。いや、まったく懸念も心配もしていないわけではないけれども、正直、私にとって最大の問題は、私自身の立場について、である。少なくとも「知」に携わることで飯を喰っているという点において、一方では私は知識人に属する(つもりではある)。いや、私自身がどう思っていようとも、たとえば何か問題を起こせば、「大学教員」として、つまりは知識人として世間さまから非難されてしまう。が、他方で、収入や生活の水準としては間違いなく一般大衆の側に属する(いや、実際にはそれ以下だな、多分)。ということで、タイトルにある通り「俺の立場は!?」という話になり、今年の抱負にもつながってくるのだが……諸事情により今回はこれまで。いつになるかはわかりませんが、次回、「一部の知識人と一般大衆である大多数の労働者」という枠組みついてもうちょっと突っ込んだ話を盛り込みつつ、話を続けます。