2015年7月23日木曜日

文学と哲学と ─近代日本思想への「エッセイ」=「試み」─ 11


意味の過剰と宗教

 

 さて、前回・前々回と戸坂潤による西田批判を検討したのであった。で、前回の最後の方で、私はこう書いた。

いったん「私」が自己を限定してしまえば、あるいは対象化してしまえば、「私」は「行為的直観」の弁証法的な運動の「過程」に取り込まれることになり、待っているのは限界と不自由の連続である。だから「自由」ということをラディカルに問おうとすれば、「自覚」以前、つまり、自己の限定や自己の対象化に先立つ次元において問われなければならないのである。

 戸坂は「意味」ということを巡って西田の無の弁証法を批判したのであった。そこでここに私がセルフ引用したことを、「意味」という観点から捉えなおしてみよう。ヘーゲル的な弁証法にせよマルクス的な弁証法にせよ、弁証法の「過程」というものは、言わば「意味の増殖」の過程である。いや、ヘーゲルだのマルクスだのと大上段に構えるまでもない。行為的直観とは我々が生きているあり方そのものなのであるから、我々が生きている過程そのものが「意味の増殖」の過程であると言ってもよい。我々は生きている現場で、様々なものに意味を付与してゆく。ここで「現場」と言っても、それは我々が見たり聞いたりする場、つまり直接的な経験の場のことだけに限られるものではない。我々は直接的な経験を超えたもの、たとえば、未来だとか神様だとかあの世だとかいったものについても考え、それらに意味を付与している(つまり「形而上学」ってやつです)。もっと言ってしまえば、意味のないものにだって、我々はまさに「意味のないもの」という意味を付与しているのである。このように、我々は現に言わば「意味の過剰」の中で生きているのであり、そのような意味はさらに変化し、細分化し、増加してゆくのであり、「いったん『私』が自己を限定してしまえば」、このような「意味の増殖」の「過程に取り込まれ」てしまうのである。そして「意味の過剰」は(ほぼ)果てしなく過剰さを増してゆくのである。

西田の「無の論理」は、このような過程の「始まり」について考えることを可能にする、つまり「自己の限定や自己の対象化に先立つ次元」について考えることを可能にするものなのである。西田のこのような発想はまた、西田の宗教哲学の基底をも成すものである。すなわち、西田の宗教思想において、「自覚」という自己限定に先立つ「無の場所」に相当するもの、それが「平常底(びょうじょうてい)」である。

 以下、今回はこの平常底について考えてみるが、今回は久しぶりということもあり、リハビリ的に、ちょっと西田自身のテクストからは離れてみたいと思う。

藤田正勝氏は平常底を説明するために放浪の俳人種田山頭火の俳句をあげておられる(『西田幾多郎 生きることと哲学』、岩波新書)。

へうへうとして水を味ふ

 藤田氏はこの句を次のように解釈しておられる。

「へうへう(飄々)として」という表現は、世俗の世界への執着から解き放たれた山頭火の生きざまから発せられた表現と言ってよいであろう。炎天下の行乞のなかでたまたま出会った湧き水を、何のとらわれも気負いも憂いもなく、ただただ味わう。心の底まで味わう。そのようなとりたててどうということのない日々の営みが表現されている。

 さらにこの句に表現されているような「普通の行為、ごく普通の生の営み」こそ、「西田が宗教の究極において見ていた」ものであるとし、平常底について次のように解説しておられる。

衣服を着け、食事をし、疲れれば眠る。山頭火の表現に従えば、ただただ水を味わう。そのような日常の営みを日常の営みとして行うこと、そのようなあり方へと帰って行くこと、そのことを平常底は意味している。

 このような日常のあり方、言わば「境地」は、「無関心なままに、『生命の根本的事実』へのまなざしを欠いた状態にありつづけること同じことではない」。このようなあり方に到達するためには、「そこからの脱却のたえまない努力を積み重ね」が必要である。西田はそのための努力を「一歩一歩血滴々地」(一歩歩むたびに血が地面に滴り落ちる、という意味)という言葉で表現しているのであるが、藤田氏はこのことを次のように説明しておられる。

一歩歩むごとに血を滴らせることを経て、はじめて「へうへうと」水を飲むことが可能になるのである。われわれはより多くの収入を得たいという思いや他人に負けたくないという気持ち、世間体、悟りへのとらわれなど、さまざまなもので縛られている(あるいはむしろ自分を縛っている)。そのような自己のあり方を一言で言い表せば、「我」ということになるであろう。我欲、我愛から自由になることは決して容易なことではない。/一歩一歩血を滴らせながら、自分をがんじがらめに縛っている執着を取り除いて到りえたところを、「阿屎送尿、著衣喫飯、困れ来れば即ち臥す」という言葉は言い表している。その日常性を平常底という言葉は意味している。

我々が「さまざまなもので縛られている」、「自分を縛っている」とは、「我」すなわち「私」というものが、「自覚」によって、つまり自己が「限定する」あるいは「限定される」ことによって成り立っているということなのであり、そのような「限定」をもたらすものは「より多くの収入を得たいという思いや他人に負けたくないという気持ち、世間体、悟りへのとらわれ」といった、この世界の中で、つまり他の人や物との関係の中で生まれてくる、あるいは我々が付与する「意味」なのである(たとえば「俺はあいつより優れているはずだ、だからあいつには負けたくない」と私が思った場合、私は自分のことを「優れた人間」として、「あいつ」を私より劣った人間として意味付けているのであり、「俺とあいつの関係」をその中で私が上位に立たなければならないものとして意味づけているのである、等々)。そしてそのような「意味」は、前にも述べたように、果てしない弁証法的な増殖過程において、変化し、細分化し、増加してゆくのである。

人間、生きていれば、ということは、このような果てしない弁証法的な意味の増殖過程の中にいれば、時にはそのような過程にとらわれていることに嫌気がさしてくることもあろうし、意味の過剰にうんざりしてくることもあろう(少なくとも私はそうだ)。そしてそのように感じた時にはじめて、その過程から自由になることが「決して容易なことではない」と、我々は気づくものなのかもしれない。ところで「平常底」とは、西田の宗教哲学の骨子であり、これまで見てきたように藤田氏もこれを一種の宗教的な「境地」として解釈しておられるようだ。私自身は、西田の哲学を宗教に引き付けて理解することに必ずしも全面的に与する者ではないのだが、それでもある種の宗教には、このような果てしない意味の増殖過程から人間を解放する力がある、あるいは少なくとも人間がそこから解放されるための方向を示す力はあるようだ。たとえば、いまだに復興が遅々として進んでいないと言われている東日本大震災の被災地に、宗旨宗派を超えて多くの宗教家たちが協力してボランティア活動を行うために赴いている。彼らの仕事の一つにいわゆる「心のケア」がある。

被災した方々は、ある日突然、慣れ親しんだ環境や身近な人々をはじめとして、多くのものを失った。失われたものを「現実」であるとすれば、被災した方々に残されたものはその現実に付与されていた「意味」だけである。意味が現実を伴うのであれば、意味も現実もともに良い方向に変えてゆくことも出来るであろう。しかし意味しか残されていないのであれば、本人が前向きに生きてゆきたいと想っていたとしても、それはもうどうにもならない、どうにも変えようのない、言わば「呪縛」となってしまうこともあり得るであろう。たとえば、失われた多くのものの一つとして私は「身近な人々」をあげたが、それは必ずしも「愛しい人々」に限られないのであり、むしろ逆に「憎い人々」も含まれるかもしれず、さらには失われた身近な人が愛情の対象であると同時に憎悪の対象であったとしても不思議でもなんでもない(というよりも、人間関係とは、その関係が近ければ近いほど、むしろそのようなものであろう)。人が人に対して持っている、あるいは人が人に対して付与している意味とはそのように複雑なものであり、残された人々にとっては、失われた現実、つまり失われた身近な人々を離れてそのような意味だけが、その複雑さをそのままに、納得する機会も折り合いをつける機会も永遠にやって来ないものとして、残されるのである。さらには残された人々が、「弁証法的増殖過程」どころか、そのような意味の呪縛に耐えられなくなって言わば「否定弁証法的増殖過程」に陥り、最終的には「なぜ自分が生き残ってしまったのか」と自分を責め続けるといったことにもなりかねない、いや、現に被災地ではそのような人々が多いのではないだろうか。だからこそ、そういった人々が意味の呪縛から解放されるための手助けとなるようなケアが必要なのであろう……いや、ここでこれ以上言葉を続けるためには今の私はあまりにも準備不足であり、無神経なことや軽率なことも書いてしまうかもしれない(あるいはもう書いてしまっているかもしれない)ので、このことについてここではもうこれ以上は書かない。ただ、たとえばいまだに苦しみ続けているであろう被災された方々について考える時、藤田氏の平常底解釈は説得力を持つものであると思わざるを得ないし、私は宗教のそして宗教家たちの力に期待せざるを得ない、ということだけは書いておく。

 

と、宗教についてこのように期待を込めて語った後でこんなことを書くのもなんだが……自分では望まなくとも、あるいは自発的な努力をしなくとも、人間はさまざまな意味とそれらによって構成される秩序から解放されて「へうへうと」日常を送らざるを得なくなることがある。たとえば戦争である。E・レヴィナスは『全体性と無限』の中でこう言っている。

戦争においては、現実を覆っていたことばとイメージが現実によって引き裂かれてしまい、現実がその裸形の冷酷さにおいて迫ってくることになる。(中略)戦争は、純粋な存在をめぐる純粋な経験というかたちで生起する。(熊野純彦訳 岩波文庫)

 レヴィナスがここで「ことば」とか「イメージ」とか呼んでいるものを「意味」と置き換えれば、この文章で言われていることはこれまで私が言ってきたことと大して変わらない。戦争は、ことばやイメージや意味といったものの向うにある言わば「裸の現実」を剥き出しにするのであり、そのような現実に直面した時、「人は何のとらわれも気負いも憂いもなく」ただ「へうへうと」そのような現実を日常として生きてゆくしかないのである。そして我々は「堕落論」をはじめとした、坂口安吾が戦後に発表したいくつかの作品の中に、戦争中の人々の日常についての証言を読むことができる。
 

「堕落論」に次のような言葉がある。

私は偉大な破壊を愛していた。運命に従順な人間の姿は奇妙に美しいものである。

偉大な破壊、その驚くべき愛情。偉大な運命、その驚くべき愛情。

「運命に従順な人間の姿」とは、「何のとらわれも気負いも憂いもなく」焼野原において「へうへうと」して生きざるを得ない人間の姿である。戦争においてもたらされる偉大な「破壊」とは、さまざまな意味とそれらから成る秩序の破壊であり、偉大な「運命」とは、焼野原で生きる人々の「へうへうと」したあり方が、自分で望んだわけでも自発的な努力の結果として到達したあり方でもなく、自分の意志とは無関係に言わば「投げ込まれた」あり方である、というように解釈出来よう。そして、自分を縛る、あるいはそれによって自分自身を縛ってしまっているさまざまな意味とそれらによって構成される秩序を破壊し、人々をそこから解き放ってくれるという意味では、破壊にしろ運命にしろ、そこに言わば「愛情」が感じられる、ということなのであろう(逆に言えば、意味や秩序から解き放たれることを望む人々が戦争を望む、ということもあるわけで……なんとなく、村上龍の初期の作品『海の向こうで戦争が始まる』を思い出した)。

米人達は終戦直後の日本人は虚脱し放心していると言ったが、爆撃直後の罹災者達の行進は虚脱や放心と種類の違った驚くべき充満と重量をもつ無心であり、素直な運命の子供であった。

 たとえ爆撃直後の焼野原にあっても、人々はただ「素直な運命の子供」として「無心」に、「何のとらわれも気負いも憂いもなく」、「へうへうと」して生を享受する、あるいは享受しようとしないではいられなかった、つまり、「生きていること」を「無心」に楽しもうとして、そこに喜びを見出そうとしないではいられなかったのである。人々は言わば「生への志向」に忠実であったのであり、焼野原にあってさえも(いや、むしろ焼野原にあったからこそ?)人々の心は「生」への関心に溢れ重量に満ちていたのである。安吾が焼野原で見た人々の在り方は、たとえばアガンベンの言う、アウシュビッツで「ムーゼルマン(回教徒)」と呼ばれた人々、つまり、やがてはガス室に送られて殺戮されてしまうという不可避の絶望的な現実を前にして感受性や精神的反応を失うのみならずさらには身体的機能さえ欠落させてしまった人々とは、まったく異なっていたのである(同じように絶望的な状況ありながら、なぜこうも違ったのか。この背景には日本人とユダヤ人の宗教観の大きな違いがあると、私は秘かに考えているのだが……あまりにも大きな話なので、ここでは黙っておく)。

 ちょっと先走って抽象的な話をし過ぎた。以下、安吾の具体的な証言を見てゆこう。「運命に従順な人間の姿は奇妙に美しいものである」、安吾が見た「運命に従順な人間」の「美しい姿」とは、どのようなものであったのか。

麹町のあらゆる大邸宅が嘘のように消え失せて余燼をたてており、上品な父と娘がたった一つの赤皮のトランクをはさんで濠端の緑草の上に坐っている。片側に余燼をあげる茫々たる廃墟がなければ、平和なピクニックと全く変るところがない。

笑っているのは常に十五六、十六七の娘達であった。彼女達の笑顔は爽やかだった。焼跡をほじくりかえして焼けたバケツへ掘りだした瀬戸物を入れていたり、わずかばかりの荷物の張番をして路上に日向ぼっこをしていたり、この年頃の娘達は未来の夢でいっぱいで現実などは苦にならないのであろうか、それとも高い虚栄心のためであろうか。私は焼野原に娘達の笑顔を探すのがたのしみであった。

 言うまでもなく、このような状況は壮絶な爆撃によってもたらされたものである。「上品な父と娘」は帰るべき家を失ったのかもしれないのであり、また、ここの父と娘しかいないということは、もしかしたら他の家族は全員亡くなってしまったのかもしれない。「十五六、十六七の娘達」にしても、頼りに出来る大人たちは皆亡くなってしまってもはや自分たちの力だけで生きてゆくしかない、といった状況なのかもしれない。そのような悲惨な事情があるかもしれないにもかかわらず、そんなこととは無関係に「何のとらわれも気負いも憂いもなく」、安吾自身が目の前の光景を楽しんでいたのであった。

 そして生への志向に忠実であることは、反面、死に対しては、あるいは死に関連し死を連想させるものに対しては無関心であり無感動である、ということである。

ここも消え失せて茫々ただ余燼をたてている道玄坂では、坂の中途にどうやら爆撃のものではなく自動車にひき殺されたと思われる死体が倒れており、一枚のトタンがかぶせてある。かたわらに銃剣の兵隊が立っていた。行く者、帰る者、罹災者達の蜿蜒たる流れがまことにただ無心の流れの如くに死体をすりぬけて行き交い路上の鮮血にも気づく者すら居らずたまさか気づく者があっても捨てられた紙屑を見るほどの関心しか示さない
 
さらに、すぐ間近に「死」を思わせる状況が迫っていても、人々は「へうへうと」生を享受していたのである。

猛火をくぐって逃げのびてきた人達は、燃えかけている家のそばに群がって寒さの煖をとっており、同じ火に必死に消火につとめている人々から一尺離れているだけで全然別の世界にいるのであった。
 
あの戦争の最中、東京の人達の大半は家をやかれ、壕にすみ、雨にぬれ、行きたくても行き場がないとこぼしていたが、そういう人もいたかも知れぬが、然し、あの生活に妙な落着と訣別しがたい愛情を感じだしていた人間も少くなかった筈で、雨にはぬれ、爆撃にはビクビクしながら、その毎日を結構たのしみはじめていたオプチミストが少くなかった。私の近所のオカミサンは爆撃のない日は退屈ねと井戸端会議でふともらして皆に笑われてごまかしたが、笑った方も案外本音はそうなのだと私は思った。(「続堕落論」)

 近くで家が燃えていてそれを必死になって消火しようとしている人々がいても、そんな文字通りの火事場には無関心に、ただそこで暖をとれるならば暖まろうとする。自分の頭上に爆弾が落とされるかもしれないにもかかわらず、爆撃が生活に刺激を与えるのならば爆撃機の襲来を楽しみに待つ。そこには「何のとらわれも気負いも憂いも」なかったのである。

 だが安吾は自分も含めた人々の戦争中のそのような「へうへうと」したあり方は、人間にふさわしいあり方ではないと、戦後になってから反省するようになる。人間はそのようなあり方を超えるべく人間らしいあり方を模索してゆかなければならない、それが「生きよ堕ちよ」という言葉に込められた安吾の想いであった。このように書くと、安吾は平常底においてもたらされる宗教的な救いとは言わば逆のベクトルに人間の救いを求めたようにも思われるかもしれないが、もちろんそんなに単純な話ではない。どう単純ではないかと言うと……

今回はここまで。
 
 
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2015年7月15日水曜日

「竹林茶話会 ~哲学カフェ@柏bamboo~」 フライヤー 

 
 「竹林茶話会 ~哲学カフェ@柏bamboo~」が開催されるお店のマスター・庄司君が、素敵なフライヤー(最近ではチラシのことをこう呼ぶんですね)を作ってくれました。
感謝感激!
 
 
 
 
 
 
(以下、読んでいただければ幸い。)
 
  ところで庄司君と僕とは、小学校・中学校・高校と、同じ学校に通う同級生でした。中学校まで一緒というのはよくあることかもしれませんが、高校まで一緒というのはあまり例がないのではないでしょうか。しかも僕たちの場合は、地元の千葉県柏市から東京都内の私立高校に通うために、毎日約1時間かけて「上京」していたのでした。ちなみに庄司君、高校時代は哲学書とか思想書とか純文学とか、間違いなく僕なんかよりもず~っとたくさん読んでました。そして、今回のフライヤーをご覧になってもおわかりのように、当時からアートへの造詣も深く、そしてそして、ロックンロールのヒーローでした!(なんだかこう書くと、村上龍の『69』の主人公のようですね)
 
 ということで、庄司君とのことをいろいろと思い出していたのですが……ふと、小学校時代の、庄司君とのある会話を思い出しました。あれは5年生か6年生の頃だったと思います。当時、日本のメディアを「戸塚ヨットスクール」という名が騒がしておりました。ご存知ないであろう若い方々、それにこの名をもうすっかり忘れてしまったという方々のためにすこし説明させていただくと、戸塚さんという方が主催するヨットの教室があったんですね(てか、そのままじゃないか^^;)。そこは一種の更生施設で、非行等いろいろと問題のある少年少女たちを、ヨットの乗り方などを教えることを通じて更生させようという、そういう教室だったようです。ところがこの教室の教育方針が超スパルタ式。ただの暴行行為と変わらないほどの体罰が、指導員たちによって生徒たちに日常的に加えられているらしいということが、ニュースやワイドショーなどでさかんに報道されていたのでした。そして、体罰によって死亡した生徒もいたことなどが明らかになって、戸塚さんは逮捕され、報道はますます過熱していったのでした(ちなみに若き日の竹中直人が、連行される際の戸塚さんの様子のモノマネを持ちネタとしていました)。
 
 
 そんな頃の、ある朝。陸上部に所属していた僕たちは、いつものように「慣らし」のためグランドを走っていました(ちなみに、庄司君と僕は6年生の時の400メートルリレーのチームのメンバーで、僕たちのチームは柏市の陸上大会で優勝!金メダルをもらいました!)。まぁ「慣らし」ですからね、いろいろとおしゃべりしながらタラタラと走るわけですよ。で、戸塚ヨットスクールの話題になったのでした。僕も含めてみんな、戸塚さんやスクールについて、テレビで聞いた通りのスキャンダラスな批判や中傷を繰りかえすだけなんですね。そんな中、庄司君だけは違っていました。たとえばこんな一言……
 
「生徒たちの方にだって、悪い奴はいたかもしれないじゃないか。」
 
 どうです?小学生の言葉、ですよ?(笑)でも私がなぜ今回この思い出について書いたのかというと、それは別に「僕の友だちの庄司君って昔からこんなにスゴい人だったんだよぉ~!」とか自慢するためではなく(いや、実際に昔からスゴい人だったんですけどね)、竹林茶話会のコンセプトを詰めている現在、この出来事は実に象徴的なもののように思われるからです。少なくともその時の僕にとってこの時の会話は、庄司君のこの一言によって、もはやただの「おしゃべり」ではなくなっていた。「生徒たちの方にだって悪い奴はいたかもしれない」、問題はこの内容の是非ではない、つまり、本当に生徒たちの方にも悪い奴がいたのかどうかといったことは、さしあたってその際は問題ではなかったのです。ただ重要なことは、庄司君のこの一言によって、僕は戸塚ヨットスクールについての自分の考え方が、どんなに偏ったものであったか、そして、いかにテレビで見たり聞いたりしたことを無抵抗に受け入れてしまっていたか、そういったことに気付かされた、ということなのです(いや、ここまで言ってしまうと、もう大人になってからの「後知恵」的な解釈かもしれません^^;)。
 
ところで哲学カフェとは、そもそも1992年にマルク・ソーテという人物がパリの近郊で開いのが最初であり、その後ひとつのムーヴメントとして、世界中に広まっていったのでした。そしてソーテにとっての本来の哲学とは、たとえば教える側から教えられる側へと伝えられる高尚な知といったものではなくて、「ソクラテス的問答法」、つまり「対話」によって成立するものだったのでした……おっと、この辺についての詳しい話は別の機会にするとして、とりあえず何が言いたいのかというと、庄司君とのこの時の会話は、もはや「おしゃべり」ではなく、ソーテが言うところの「対話」であった、いや、さすがにそれは言い過ぎだとしても、でも少なくとも、そこから本格的な対話が、つまり哲学が、育ってゆくこともあり得るような、言ってみれば「萌芽」ではあった、僕にはそう思えるんですね(たとえば、僕はさきほど「生徒たちの方にだって悪い奴はいたかもしれない」という言葉の内容の是非はさしあたり問題ではない、と言いましたが、何にせよ内容の是非についてのきちんとした議論は、まずはこの問題を論じようとする人たちが「自分の意見や考え方は、もしかしたらとっても偏っているかもしれない、あるいは、もしかしたら他の誰かから聞いたことの受け売りにすぎないのかもしれない」、そういう可能性に気付くことから始まると思うのです)。そしてそういう意味では、僕の今のあり方のルーツの一つが、この時の庄司君の言葉にあるのかもしれないし、そしてその庄司君とこれから一緒に哲学カフェをやっていくのだと想うと、なにやらとってもとっても感慨深いものがあるのです。
 
 ということで、竹林茶話会の会場には、元400メートルリレーの選手のおじさんが、毎回二人います(僕なんかと同じ「おじさん」にカテゴライズしてしまって、庄司君、ごめんなさい!^^;)。その二人のうち、髪の毛が薄くない方、イケメンの方の元400メートルリレーの選手が、庄司君です。






 

2015年7月7日火曜日

竹林茶話会 ~哲学Cafe@柏bamboo~ 第一回開催情報

「竹林茶話会 ~哲学Cafe@柏bamboo~」の開催情報をこちらでお知らせします。

フェイスブック・イベントページ https://www.facebook.com/events/1597613507186210/
フェイスブック・コミュニティ https://www.facebook.com/chikurinsawakai

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 第一回 開催情報

開催日時 2015年8月8日 17:00〜(90分程度。遅くとも19:00には終了

開催場所 Bar bamboo http://bar-bamboo.com/(地図等ご参照下さい)

主催者メールアドレス chikurinsawakai@yahoo.co.jp
              (お問い合わせ、御参加お申し込みはこちらにお願いします)

 料金 1000円(1drink付き)

 基本ルール
1 人の話はちゃんと聞く
2 『考え方は人それぞれ』は禁止
3 『偉い人』には頼らない


テーマ『自分探し』

進学はしたけれど、就職はしたけれど、結婚はしたけれど……...

「こんなはずじゃなかった!」とか想うことって、ありませんか?
 
今のあなたは、ほんとうの「自分」ですか?今のあなたは、自分らしい「自分」ですか?

いや、「ほんとうの自分」って、なんだろう?「自分らしい自分」って、なんだろう?

いやいや、そもそも……

「自分」って、なんだろう?

「ほんとうの自分」と「にせものの自分」、「自分らしい自分」と「自分らしくない自分」、そういう区別って、出来るの?していいの?

「自分」を探すって、「自分」を見つけるって、どういうこと?そんなこと、出来るの?

「竹林茶話会 ~哲学カフェ@柏bamboo~」、第一回目はこんなことを考えてみたいと思います。こういうことを深く考えてみるのも、たまにはいいですよね。何しろほかでもない、「自分」のこと、なので。

多くの方々のご参加を、お待ちしております!

2015年7月3日金曜日

文学と哲学と ─近代日本思想への「エッセイ」=「試み」─ 10

「無の論理」は「論理」どころではない 2

 さて前回の続き。

早速だが、戸坂が「弁証法の意味や意義」だとか「存在の論理的意義」だとかいったものについて論じているところを見ておこう。
 弁証法の「意味」あるいは「意義」について、戸坂は次のように述べる。

無の論理に於てこそ(自覚の)弁証法が初めて理解され得るというのだから、この論理は弁証法的論理でなければならないように見えるだろう。併しここでは実は、弁証法なるものの意味・意義が解明されているだけであって、本当は決して弁証法が使われているのではない。(中略)無の論理は弁証法的に考える論理ではなくて、弁証法というものの意味が如何にして考えられるかを解釈する処の論理なのである。(「「無の論理」は論理であるか」)

  前回(http://achirakochirainochigake.blogspot.jp/2015/06/blog-post_23.html)の最後で、「戸坂の言う、存在の論理的意義だとか弁証法の意味だとか意義だとかいうものの指摘を、西田による発見として積極的に評価することはできないだろうか」と、私は書いた。上に挙げた文章の中で、西田を批判する他ならぬ戸坂自身が西田の無の論理あるいは無の弁証法において「弁証法なるものの意味・意義が解明されている」だとか、それが「弁証法というものの意味が如何にして考えられるかを解釈する処の論理なのである」と言うことによって、図らずも西田のラディカルな到達点を認めてしまっているわけだ。

  戸坂は、事物のあるいは存在の「論理的意義」については次のように述べている。

一般に無の論理は、事物そのものを処理する代りに、事物のもつ意味を処理するのである。本当は、事物そのものを処理しない限り事物のもつ充分な意味の処理も出来ないわけだが、ここでは事物そのものからは独立に、事物の意味だけが問題とされる。ここでの問題はいつも、事物がどうやったらば「考え得られる」かである。事物が実際にどうあるかではない、どういう「意味」を持ったものがその事物の名に値いするかである。社会や歴史や自然がどうあるかではなくて、社会や歴史や自然という概念がどういう意義を有ったものであるか、意味の範疇体系に於てどういう位置を占めるか、が問題である。(中略)無の論理は事物の「論理的意義」だけを問題とするのである。

 「本当は、事物そのものを処理しない限り事物のもつ充分な意味の処理も出来ない」、「事物が実際にどうあるか」、「社会や歴史や自然がどうあるか」云々と、前回も述べたように、戸坂はあくまでもいわゆる唯物弁証法的論理の立場から西田の無の論理あるいは無の弁証法を批判しているのであるが、ここでは唯物弁証法的論理の立場については論じない。というのは、唯物弁証法的論理といったものについて論じようとするならば、それが前提とするものを認めざるを得ないのであり、さらに一度そういった前提を認めてしまったならば唯物弁証法的論理の中から抜け出すことが出来なくなるからである(このことについて二点ほど補足。第一に、実はこのような見方は、まさに西田の論理そのものにおいて、明に暗に問題になっている。また第二に、このような困難は西田の哲学を宗教哲学として論じようとする際にもついてまわる困難である。)

 戸坂はさらに述べる。

こうした意味解釈のためだけの論理としてならば、なる程無の論理程徹底した方法はないだろう。有の論理はそれが如何に観念論的なものであろうとも、とにかく観念と云ったような有・存在そのものを取扱うことを免れない。意味だけを、意義だけを、取り扱うためには全く、無の論理に勝るものは又とあるまい。

戸坂はこのように、西田の無の論理あるいは無の弁証法を、一種の解釈学であるとするのである。そして西田を「詩人」であるとし、西田の哲学をブルジョア的であるとかロマン派的・美学的であるとか評した上で、次のように述べる。

現代人の近代資本主義的教養は、この哲学の内に、自分の文化的自由意識の代弁者を見出す。そこで之は文化的自由主義(経済的・政治的・自由主義に対す)の哲学の代表者となるわけである。 

 自由意識だとか自由主義だとかいった言葉が出てきましたね。ところで……

 

「自由」とは、なんだ(尾崎豊の歌みたいだ)。

 

 ここに挙げた文章において、戸坂は明らかに、彼の言う「経済的・政治的・自由主義」こそ問題とされなければならないのであって、それらを問題とせずに「文化的自由主義」を言わば謳歌する立場に対して批判的なのである、あるいはご立腹なのである(多分、上部構造と下部構造のことを言っているのでしょうけど……ごめなさい、今の私はそっち方面には深入り出来ません)。

 だが、「自由」とは何か。あるいは、自由とはいったい、どのような次元において最もラディカルに語られ得るのだろうか(結論を先に言えば、戸坂の論じるところとは逆なのである……が、詳しくは追々)。

 ところで西田は、一方でヘーゲルの論理あるいは弁証法を「過程的弁証法」であるとし、自らの論理あるいは弁証法を「場所的弁証法」としたうえで、前者は後者によって乗り越えられるとも、前者は後者に含まれるとも言っていると同時に、他方で前者を高く評価している。

西田がヘーゲルの論理あるいは弁証法を高く評価するのは、たとえば講演「現実の世界の論理的構造」において論じられているように、西田がそれを西洋哲学の歴史における言わば二大柱であるプラトン的論理とアリストテレス的論理とを総合するものとしてとらえているからである。プラトン的論理とアリストテレス的論理との違いは、結局のところ、実体あるいは真の実在を、判断における述語とするか主語とするかの違いであると言えよう。すなわち、プラトン的論理において、実体あるいは真の実在はイデアなのであり、万物はそれが特殊化した一般的なものとして語られる、とされるのである。つまり「SPである」という判断において、特殊である主語Sに対する述語Pにおいて一般的なものあるいは特殊化したイデアが表現されるのである(たとえば「この人物は善い」という判断において「善のイデア」が、「このバラは美しい」という判断において「美のイデア」が、各々、特殊化した一般的なものとして現れる、というように)。つまり、プラトン的論理において、実体あるいは真の実在は「述語となって主語とならないもの」なのである。それに対してアリストテレス的論理においては、実体あるいは真の実在は、言わば究極的な特殊、もはや「このもの」としか呼びようのない「個物」あるいは「個別的なもの」なのであり、一般的なものはこのような個別の持つ性質にすぎず、個物において存在しているに過ぎないとされる。つまりアリストテレス的論理においては、「SPである」という判断において、実体あるいは真の実在は主語Sなのであって、「主語となって述語とならないもの」なのである。

ようするに西田は、ヘーゲルの論理あるいは弁証法が、プラトン的論理とアリストテレス的論理を総合するものであるとして、すなわち、実体あるいは真の実在の正反対のとらえ方を結びつけるものである、つまり矛盾するとらえ方を総合するものであるとして、高く評価しているのである。では逆に、西田はヘーゲルの論理あるいは弁証法のどのような側面に対して批判的であるのか。そのような側面もまた、ヘーゲルの論理あるいは弁証法が互いに矛盾する実体あるいは真の実在のとらえ方を結び付けているところに由来するのである。すなわち第一に、ヘーゲルの論理あるいは弁証法において一般的なものとはヘーゲルによって絶対者だとか絶対精神だとか呼ばれるものなのであるが、それは「SPである」という判断の主語とされ、あらゆる特殊がそれの自己展開として導き出されるとされる、つまり、絶対者あるいは絶対精神といった実体あるいは真の実在(同業者の方々、ここで例の「実体=主体論」とかいう面倒な問題に突き当たるわけですが、この辺について詳しく話し始めるとたちまちヘーゲルの話に……前回同様以下省略)が主語とされているという点でいまだアリストテレス的なのである。そして第二に、ヘーゲルの弁証法における実体あるいは真の実在(絶対者、絶対精神)は、自己の内にある矛盾を言わば原動力として発展してゆくとされるのであり、そのようなものと個別的なものあるいは特殊なものとは、歴史的・時間的に無限な過程の中において、常に一致へと向かう、ということにならざるを得ない(同業者の方々、もちろん、時間「的」・歴史「的」ということがまた問題なのですが、この辺について……以下省略)。さらに第三に、このような過程は決してその終わりに達することはない、つまり、実体あるいは真の実在(絶対精神、絶対者)と具体的な個物とが一致することは決してないのであり、せいぜい後者が前者とのかかわりにおいて論じられることしか出来ないのであって、ちょうどプラトンの哲学において具体的に存在するものにおいてイデアが完全に現われることはあり得ない、という意味でプラトン的なのである。

西田がヘーゲルの論理あるいは弁証法を「過程的」と評したのは、もちろん、上に述べたヘーゲルの論理あるいは弁証法の第二の側面のためであるが、西田がわざわざ「過程的」と評したことをふまえて第一の側面および第二の側面をとらえ直してみれば次のように言えよう。すなわち、一方で絶対精神や絶対者といったもの(一般的なものあるいは普遍的なもの)はこの「過程」の各々の局面において、何らかの特殊なものや個別的なものにおいて、言わば「限定された」あり方でしか現われることが出来ないのであり、また他方で、何らかの特殊なものや個別的なものもまた、この「過程」の各々の局面において、「不完全な」絶対精神や絶対者(一般的なものあるいは普遍的なもの)でしかあり得ない、つまり、「限定された」絶対精神や絶対者(一般的なものあるいは普遍的なもの)でしかあり得ない。つまり、「過程的」な弁証法においては、普遍的なものも特殊なものも個別的なものも、同じようにある局面における「限定された」ものでしかあり得ないのであり、そのようでしかあり得ないという意味で「不自由」なのである。西田はこのような不自由さを解消しようとしたのであった。だからたとえば、「ヘーゲルの論理の底にケルケゴールの背理の統一という如きものを置いて理解すべきである」(「私の立場から見たヘーゲルの弁証法」)と書いように、ヘーゲルの過程的弁証法の時間性や水平性を乗り越えるために、キルケゴールの「質的弁証法」(キルケゴールはヘーゲルの弁証法を「量的弁証法」であると評し、それに対立するものとして自らの弁証法をこのように称した)における超時間性や垂直性に注目したのであった。そしてそのような思索を経てたどり着いた考え方が「絶対矛盾的自己同一」や「逆対応」といった考え方である(「絶対矛盾的自己同一」や「逆対応」については、http://achirakochirainochigake.blogspot.jp/2015/05/blog-post_29.html)。

ところで、ここで私が論じた過程的弁証法における「不自由さ」とは、一般的なものや特殊なものや個別的なものにとっての不自由さであるばかりではない、つまり、弁証法において論じられる「内容」の不自由さであるばかりではない。それはまた同時に、内容をこのように不自由なものとしか語ることのできない立場自体の限界であり不自由さでもある、つまり、「語る」ということが「内容」に「形式」を与えることであるとすれば、「内容の不自由さ」はまた同時に「形式の不自由さ」でもあるのだ。だからこの不自由さは、過程的弁証法という「形式」そのものにともなう不自由さでもある、つまり、過程的弁証法によって、あるいは過程的弁証法において何かを論じようとする者にとっての不自由さでもある、このようにも言えるであろう。

 

 ところでこのシリーズの第4回目において、私は西田の「行為的直観」について論じた(http://achirakochirainochigake.blogspot.jp/2015/05/blog-post_20.html)。行為的直観とは弁証法的な運動であり、その運動の渦中にあるものが、ある局面において、何らかの限界を乗り越える、つまり、以前よりも自由になる、だがしかし同時に、そこにおいてまた新たな限界が見出され、また、不自由となる。このような限界あるいは不自由は、この運動のそもそもの始まりにおいて在る、あるいはこのような限界あるいは不自由が在るからこそ、行為的直観という弁証法的な運動が始まるのである。そしてこのような運動の始まりをめぐって、このシリーズの第5回目において、私は西田の「自覚」の構造について論じた(http://achirakochirainochigake.blogspot.jp/2015/05/blog-post_26.html)。そこでは「自覚」の問題を、「なぜ人はそもそも何かをしようという意志を抱くのか」という問いとしてとらえ直し、永井均氏の議論を援用しつつ、考えた。すなわち、「雷鳴が響き渡っている─取り立てて言うなら私に於いて」というかたちで「私」が「対象化」されることを「自覚」であるとしたのであるが、さらに「自覚」を「自己の限定」であるとし、自己をどのようなものとして限定するのか、それを「私」は自由に決めることが出来るのだろうか、あるいは、「私」はどこまで自由に自らを対象化できるのだろうか、という問いを立てた。いったん「私」が自己を限定してしまえば、あるいは対象化してしまえば、「私」は「行為的直観」の弁証法的な運動の「過程」に取り込まれることになり、待っているのは限界と不自由の連続である。だから「自由」ということをラディカルに問おうとすれば、「自覚」以前、つまり、自己の限定や自己の対象化に先立つ次元において問われなければならないのである。

……いけませんいけません。何やら議論が堂々巡りの様相を呈してきました。今回のお話ばかりではありません。これまでのシリーズを読み返してみたのですが、シリーズ全体として堂々巡りな感じになってきました。でもまぁ、それは要するに、西田哲学をめぐる私の問題意識が、ようやくまとまってきたと、そういうことなのかな?今回の文章ではこのシリーズの過去の文章への言及も、いつもより多めにあったし、問題が絞られてきた、ということなのかな?ということは……このシリーズも、終りが見えてきたと、そういうこと?それはなんとなく寂しいので……よし、もうちょっとだけ、堂々巡り。胸を張って、ドードーと、ドードーメグリ……今回はこれまで。

消費者のビジネス・エシックス

 ある学校での、倫理学の授業でのこと。その授業は学生のグループがあるテーマを決めて発表し、その発表を承けてクラス全体でディスカッションをする、というかたちで進められる授業なのだが、ビジネス・エシックスをテーマにして発表したグループがあった。

 まぁまぁ、よく調べてきてくれました。感心感心。しかも、調べたことをきちんと自分で咀嚼して、しかも聞いている相手を無視せずに語りかけるように話してくれました(これ、基本中の基本なのですが、実はなかなか難しい……学校の授業での発表のみならず、研究者の学会発表でも、さらにはベテラン教員の授業においてさえも、よくあることなんです。かく言う私も注意せねば)。そして照れながらも、楽しそうに話してくれました。

 でも、話している学生も聞いている学生も一番熱が入って、私も聞いていて一番楽しかったのが、アルバイト先での経験談。まぁ、具体的な状況は書きませんけどね。その学生は販売系のアルバイトをしていたのですが、その売場には有名な(?)悪質な客がいた。そしてその客への対応をめぐって、やっかいなトラブルがあり……といった話です。まぁ、ありがちな話といえばありがちな話なんですけどね。ところで、若いうちからそういう世の中の汚い部分だとか面倒な部分だとか悪意に満ちた部分だとかを見ておくのは必要なことだ、みたいに言う人も多いですね。意外かもしれませんが、私はそういった考え方に必ずしも賛成ではありません。いや、厳然たる事実として、現実は汚いものだし面倒なものだし悪意に満ちています、そんなことは当り前すぎるほど当り前のことです。でも、べつに現実のそういう部分を全く知らずに、天使のように清らかに一生を終えることだって、もしかしたら不可能ではないかもしれない……いや、それはほぼ不可能だとしても、現実は汚くて面倒で悪意に満ちているとしても、その中で生きる自分も汚くて面倒で悪意に満ちた人間になる必要はないし、そんなこと、避けられるなら避けた方がよろしい(始末が悪いのは、そういう人間に限って、ひょっとしたら自分はそういう人間なのではないか、という、疑いすらもこれっぽっちも抱かない、ということ)。

 で、その学生は自分の経験について語っている時に、悪質な客に対する嫌悪や怒りを剥き出しにしていたので(いや、これはちと言い過ぎかな)、ちょっと気になった。でもまぁ確かに、クレーマーだのなんだの、最近は悪質な消費者が、多いですな。教育機関においてすら、自分を消費者だと勘違いしている生徒や学生がいて(いや、生徒や学生のみならず、保護者や教員、それからいわゆる教育評論家の中にもいますね、そういう勘違いをしている連中)、やっぱりそういう連中は悪質ですな。悪質というよりむしろ「そんなもんでいいのかよ!?」と言いたくなってくるような連中、ですね。ちなみに私の場合は、「こっちは客なんだから」なんて言う学生と遭遇した場合は、原則としてとりあえず、二度と会わずに済むような対応をすることにしています(「原則として」というのは、教育の余地ありと判断した場合は例外的な対応をしますけどね。そして、なんとかして「教育の余地」を見つけ出そうとすることが、そういう状況における教員の最優先の仕事だとも思っております)。……おっと、脱線しました。ところで当り前の話ですが、授業で話をしてくれた学生はもちろんのこと、人間は生きている以上、消費者の立場に立たざるを得ないわけで、これは言いかえれば、「誰もが消費者としてビジネスに関わっている」と、そういうことなんですね。だから、「消費者の側のビジネス・エシックス」なんてことが、もっともっと論じられて良いのではないかと(あ、一応念のため言っておきますが、私が言っているのは、いわゆる「エシカル・コンシューマー」とか、そういう問題ではないです)。

 で、自分自身のこんな体験を思い出しました。私、ラーメンが好きなんですよ、大好きなんですよ。で、都内のお気に入りの某有名チェーン店に、よく食べに行くんです。まぁ、どの店舗も小奇麗でお洒落な、言ってみれば「今風のお店」です。そういうお店って、店員と客とのコミュニケーションが、ほとんどないんですよね。ほら、昔ながらの中華食堂だのラーメン屋さんだのでは、お店の人とお客さんとが世間話に花を咲かせたりとか、あるじゃないですか。「今風のお店」では、そういうことは、まずない。会話にしても、店員さんが「いらっしゃいませ」とか「お熱いのでお気を付け下さい」とか「ありがとうございました」とか言うくらいで、客の側は終始無言、なんてことも、珍しくもなんともない。で、もうずいぶん前になるけれど、そんなお店での、ある日の出来事。いつものように一杯目を食べ終わりそうになったタイミングで、替玉を注文したわけですよ。で、替玉の皿が出てまいりました。ふと気が付いたんです、その皿には、一本の髪の毛が……。一応言っておきます、なんでもないんです、そんなこと。ある世代以上の方々にはわかると思いますけど、ラーメン屋さんて、そんなものだったでしょ?ドンブリの隅に髪の毛がついてたり、スープに小さな小さな羽虫が浮いてたり……こうやって言葉にすると汚らしいけど、でも、そんなものだったでしょ?で、下手をするとそういうお店の方が美味しかったりとか。だから、替玉の皿の髪の毛なんて、全く気にも留めず、何も言わずにそのまま食べ続けたわけですよ。で、お会計。「ごちそうさ~ん」と言って店を出てちょっと歩くと、後方から何者かが私の方に走ってくる気配が。その人物は私の真後ろで止まったので、普段からゴルゴなんとかさん並みに背後への注意を怠らない私は、後ろを振り返りました。そこには、たった今出てきたばかりのラーメン屋さんの、店員さんが……

店員さん 「あの、すいません」
中畑   「なんでしょう?」
店員さん 「先ほど、替玉に髪の毛が入ってましたよね?」
中畑   「(完全に忘れていたので、完全に素で) そうでしたっけ?」
店員さん 「はい。ですから、先ほどのお代、お返しさせていだだきますので……」

 その店員さん、「今風のお店」にふさわしく、とってもさっぱりとした、さわやかな、それでいてとっても真面目そうな、イケメンさんでした。そんなイケメンさんがですね、とってとっても申し訳なさそうな顔をして、こんな風に話しかけてきたんですよ。私、ちょっと気の毒になりましてね……

中畑   「いやいや、いいです、そんなの」
店員さん 「いえいえ、そういうわけには……」
中畑   「いやだってほら、それ、俺の髪の毛かもしれないじゃん?最近よく抜けるんだわ……」
店員さん 「(ちょっと微笑み。よし、受けた!w)は、はぁ……」
中畑   「(ちょっとばっかし受けたもんだから調子に乗って) いや、ホントに。いつもウマいもの食わせてもらってますからね。いいんですよ、たまには、そんなこと。また近々お邪魔させていただきますので。」
店員さん 「(カッコつけてその場を立ち去る私の背中に向けて、とっても大きな声で) ありがとうございましたっ!」

 今思うと、その店員さんにとってもお店にとっても、一大事だったんでしょうね。何しろほら、「この店はラーメンに髪の毛入れて出すぞ!」とかネットに書かれでもしたら、下手するを大損害だし、実際そういう困ったケースも多いみたいだし。それはともかく、しばらくしてそのお店にお邪魔したら、その店員さん、もちろん私のことを覚えてくれてましてね。その時から、少しずつ少しずつですが、お話しするようになりました。で、その店員さんと私が話しているのを見ていた他の店員さんとも、お話しをするようになり……。その他にも「ちょっとイイこと」があったりしたのですが、それを具体的に書いてしまうと、「店員さんと中よくするとこんなお得なことがありますよ」というような功利主義的な(?)お話を私がしているのだと勘違いされそうで、そんな風に勘違いされるのは絶対に嫌なので、やめときます。ちなみにそのチェーン店は店舗間での店員さんの移動が激しいらしく、その店員さんは今はその店舗にはいません。今この瞬間も、どこかで、やっぱり元気で頑張ってるんだろうなぁ……。

 さて。思うに、今の消費の現場というのは、消費者の側にしても提供者の側にしても、悪意を前提としているんですな。だから、消費者の中には「隙あらばクレームを!」という輩が多いわけだし、提供者の方も「先手を打ってクレーム封じ!」みたいな態度に出る場合も多くて、まぁ、悪循環ですな。そんな中、とりあえず消費者として、悪意を前提とせずに消費というビジネスの現場に入っていくことも可能なんだよ、と。そして、もしかしたらそうすることによって、人間的なコミュニケーションが生まれて、消費者にとっても提供者にとってもお互いに心地よい消費の現場が生まれるかもしれないかもね、と。そういうことも伝えておかなければと思いましてね、自分のアルバイト経験を語ってくれた学生に敬意を表して、私自身の体験もお話ししたのでした。

 ……え?「資本家のビジネスなんて、そもそも搾取してやろうっていう悪意が大前提じゃないか!」だって?ほうほう……よろしい。もしも本当にそうとしか考えられないなら、そうだな、消費者戦士として、死ぬまで戦い続けるか、あるいは、そもそも消費という営みそのものを、やめてしまってはいかがかな。あのね、別にビジネスの場に限らないんですけどね、相手が、状況が、分からない場合には、とりあえず自分に出来得る、あるいは考え得る、最善の選択を、とりあえずでもしてみるしかないんです。そりゃもう、命がけ、「命がけの飛躍」、ってやつです。それからもう一つ確実に言えることは、ただ文句ばっかり言ってるだけでは、人間、絶対にハッピーにはなれないんです。


そだそだ。私、↓こういう本にもかかわっております(「アマゾン・アソシエイト(アフィリエイト)」) 。